本書は、前作の『金融政策の誤算』の続編と位置づけられています。
気になった箇所にコメントしていきます。
<p.48>
これを考えれば、乱脈経営によって自滅した銀行を救済するよりも、初めからこういうことがおきないように規制した方が合理的であろう。
→揚げ足を取っているようで心苦しいのですが、規制の必要性については賛成ですが、おきないようにすることは無理だと思います。自滅を防ぐような規制を施しつつ、いざというときの救済という両面を考慮しておくべきだと考えます。
<p.90>
それでは他に金融政策の波及経路はないのだろうか。全く可能性がないわけではない。金融緩和によってドル安が生じると、それが輸出を促進するであろう。二○○一年-○六年に日本で実施された量的緩和政策は、結局のところ、デフレ脱却には失敗した。しかし、円安によって、当時の輸出ブームを支えていた。
→金融政策については、円安を誘導させる効果がある点については注目すべきですね。円安(または円高)を誘導できるということは、様々な波及効果が見込まれますね。諸刃の剣であるという側面も無視できませんけどね。
<p.153>
準備預金を増加させれば、預金が増加するという考え方は、自動車部品の供給を増加させれば、自動車の生産が増加するという考え方と同一である。銀行は預金に応じて、準備預金を積まなければならない。これは自動車生産のために、部品が必要であるのと同様である。世界同時不況の中で自動車の生産は急減した。そこで自動車生産を回復させたいと考えた自動車部品メーカーは、大量の部品を供給したとしよう。そうすると、自動車の生産が回復するであろうか。回復しないと誰しも考えるであろう。代わりに大量の供給された部品が過剰な在庫となることも、誰が考えても理解できるであろう。
自動車部品メーカーが過剰な部品を供給しても、部品が余るだけである。同様に中央銀行が不要な準備預金を供給しても、過剰準備となるだけである。
→ここは、慎重に検討すべきです。一つの例えとしてなら理解できるのですが、準備預金を自動車部品と「同一」と考えることには、少なくない危険性があると思われるのです。
なぜなら、自動車部品は自動車を作ることにしか使えませんが、準備預金はお金ですから、様々なことに使うことができるわけです。この差は、かなり大きいと考えることができます。不況において自動車生産が急減することはもちろんあり得ますが、そのとき、他のすべての生産が急減するわけではないからです。
<p.186>
社会保障費の増加も、家計の所得を維持し、経済の悪化を食い止めると言える。けれども、社会保障費の増加の原因は高齢化であり、以前からの傾向である。経済の悪化を食い止めるためには、社会保障費を今まで以上に増加させなければならないが、それは生じていない。
<p.205>
日本の場合も政府の財政悪化の原因は、税収の落ち込みと、少子高齢化による社会保障の負担増加である。
→ここの<p.186>と<p.205>の発言を総合すると、少子高齢化による社会保障の負担増加が財政を悪化させているが、もっと社会保障費を増加させれば経済の悪化を食い止められるということでしょうか?
分からなくはないのですが、けっこうジリ貧な気もします。現在のエコノミクスとしての経済学では、(正統だろうが異端だろうが)デッドロックに陥る問題だと思えるのですよね。では、どうすれば良いか?
その回答は、もちろん社会学や政治学に関わるわけです。その解答については、いわゆる経済学者や大学教授には、やっぱり言えない内容ですよねぇ。