S意見についての回答(6)

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 「S意見についての回答(5)」からの続きです。

 S氏は、「大抵の天才たちのアクチュアルと言うよりもエッセンシャルな議論を聞いても、「知ってた」としか思わない。ところで天才なんているのか?」と述べています。

 このS氏の意見から、S氏の天才についての考え方をうかがうことができます。
 正直、これだけの短い文章で、これだけXXXXな意見って、ある意味、はじめて見たかもしれません。
 「アクチュアルと言うよりもエッセンシャルな」って・・・(苦笑)。まあ、ここも突っ込みどころ満載なのですが、細かいところは飛ばして次へいきます。
 S氏が、ここで何を言っているかを、分かりやすく言い直すと、次のようになるわけです。

 

 大抵の天才の議論は、すでに俺は知っていた。
 俺が知っていることしか述べていないようなやつは天才なんかじゃない。
 (俺の知らないことを述べたやつはいなかったから、)天才なんているのか?

 

 いや~、これは、とてつもない態度表明ですよ。
 これが本当なら、S氏こそ正真正銘の天才ですよね。

 すごいですよね。カントやハイデッガーを読んでも、すでに俺は知っていたとか思っちゃったわけですか。ニュートンの古典力学や、アインシュタインの相対性理論を聞いても、すでに俺は知っていたとか思っちゃったわけですよね。すげぇ~なぁ~。

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 まあ、一応、念のため、S氏が自分が理解できる範囲の枠組みに天才の論理を押し込め、自分の理解の外にある天才の意見は曲解だ~とか言っちゃってる場合も想定しておきましょう。

 この場合、永井哲学への過去にあった批判が参考になるかもしれません。

 永井均の『〈私〉の存在の比類なさ』の「独在性の意味」という論文において、山田友幸氏の批判に答えて、永井が次のように論じています。

 

 
 たとえば『純粋理性批判』の主要な議論を何一つ理解せずに、そのすべてを誤解した上で、時間・空間は客観的実在と考えるのが「きわめて自然な把握」であり、現象と物自体は区別しない「のが穏当である」と結論するカント批判論文を書いた人がいたらどうだろうか。少なくとも私には、ここで山田がやっているのはそのような種類のことであるように思われる。

 

  少なくとも私(モト)には、ここでS氏がやっているのはそのような種類のことであるように思われる。いや、そのレベルにも達していないのかもしれないと思われる。

 

 S意見についての回答(7)へ続く。

コメント(3)

あざーす!
あとで読んで、参考にします。
最近、精神的にも体力的にも疲れきっているので。
by 本人

それにしても、こんなに長く書いてくださるとは・・・・・・
恐縮の至り・・・・・

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