2014年9月アーカイブ

 昨日は久しぶりに神戸で仕事でした。

 仕事後に飲みに突入すると、その日のうちに帰れるか心配になりますよね(笑)

 ギリギリでしたけどね。


 たまにはロボットのニュースネタでもどうぞ。


・2014.7.13記事 成長戦略の切り札?ロボットによる「新産業革命」

http://www.robonable.jp/trend/2014/07/robot-inonvation-0713.html

・2014.9.22記事 産総研、ロボで生物系実験再現

http://www.robonable.jp/news/2014/09/aist-0922.html

・2014.8.28記事 経産省、中小・サービス業のロボット導入に最大3分の2を補助(15年度)

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1520140828aaap.html


 

 ASREADに、【スーパーグローバル大学でちょっと妄想してみた】が掲載されました。

 というわけで、ここまで書くとシリーズ化されるようです。


スーパーグローバル大学シリーズ

第一回 『スーパーグローバル大学(笑)』
第二回 オシャレでスマートなスーパーグローバル大学のキャッチコピーを比較してみた
第三回 スーパーグローバル大学でちょっと妄想してみた


 まさか、三つも書くことになるとは・・・。

 そんなに乗り気でもなかったのですが、ネタが投下されると反応してしまう。

 ネタの威力がすごすぎるのが悪いんだ! ←責任転嫁。


 第一回目はゴジラのパロディで、第二回目はウルトラマンのパロディです。

 なので、第三回目は仮面ライダーのパロディかと思いきや、作風を変えてみました。

 だって、いまさらスーパーグローバルV3とか、スーパーグローバル・クウガとかやっても、実際の大学の構想名に勝てないんだもん(笑)

 事実は小説よりもってやつですな。

 今回の作風は、かなり実験的な感じです。

 あと、ネタとしてもけっこうヤバ目ですね。

 ヤバ目なんですが、今までもやばいのばっかりなんで、ASREAD編集部の感覚がマヒしてきているのか、あっさり載ってしまいました(笑)

 その懐の深さに感謝ですね。


 今日は、約5000字くらいの文章を書いていました。

 本当は違うことをする予定だったのですが、ネタが投下されるとボケずにはいられない。

 芸人とは、因果な職業なのです(←違う)


 5000字をいっぺんに書くって、けっこう疲れますね。

 文章を書くと、かなり体力を奪われます。

 文章を書くためにも、体力を付けておくのは大事なことですね。


 昨日は、大阪に研修に来た新人と大阪観光してきました。

 ちなみに、去年も同じようなことをしていました。

 定時後に、新世界を散策し、通天閣に登り、道頓堀に行き、串カツ食べたり、たこ焼き食べたり、ホルモン食べたり、飲んだりしたのです。

 もちろん、おごりましたよ。

 大阪って、短時間でかなり主要なところを回ることができますね。


 そういえば、道頓堀のグリコは、なぜか綾瀬はるかさんになっていました。

http://www.sankeibiz.jp/business/news/140921/bsb1409210711002-n1.htm

 大迫力ですな(笑)


 仕事は、つながりです。

 つながりを構築しておくと、後々に自分の助けになったりするものです。

 情けは人のためならず、ですね。



もういい加減この話題は終わりにしたいのですが、
山崎さんという方が誠実なコメントを書いてくれたようなので、
返信しました。


http://asread.info/archives/1117#comments
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山崎さん、コメントありがとうございます。

「太郎」の文章は色々と致命的であり、
そのおかしさは一連の流れを考えながら追っていけば分かります。
ただ、山崎さんは丁寧にコメントしてくださいましたので、
礼儀として一つの解答を示すことにします。
(他の論点については、それぞれで考えていただければと思います)

ちなみに、本回答は山崎さんへ向けたものなので、あしからず。
(議論ができない人はお断りという意味です)

「太郎」は、
「藤井は大学教授で内閣参与もやっている権力者だから、
 権力者が好きそうな、かつてのアメリカの汚いやり口にも共感しているのだ」
と書いています。

これは、完全に改竄です。
私の元の文章を読んでくだされば分かりますが、私はこんなことを言っていません。
この手法は、論理学の「逆」を応用した手口であり、
「だから」という言葉を勝手に挿入して批判可能な文章に作り替えているのです。
勝手に文意を変更して非難してくるという、極めて悪質な手口なのです。

その上で、こちらに対し詭弁だとか言ってきているのです。
改竄も詭弁も「太郎」がしていることでしかありません。

ここまで悪質な手口に対しては、
まともに相手をする義理はありません。

> 逃げというか、中傷というか、良くないと思います。

私は、
自分が改竄しておいて相手を詭弁だと罵るような卑劣漢については、
相手にする価値がないと考えています。
それを逃げだというのなら、逃げと言ってもらって構いません。
議論になりませんから。

しかし、中傷とは「根拠のないことを言いふらすこと」です。
私は根拠があって非難しているのですから、中傷はしていません。

コメントに対する返信は自粛するつもりでしたが、
山崎さんは誠実にコメントしてくださいましたので、
対応することにしました。

今後ともよろしくお願いします。
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今回の一連の流れにおいて、
私は色々なことを計算して文章を構成しています。
ですから、感情的にならずに、
冷静に客観的に私の意見を聞いていただけるようお願いします。


まず、本当に私の言っていることについて批判できるなら、
私の文章の一部をそのまま引用すれば良いだけの話です。

引用するのに長いようなら、
(中略)などを挟んで、ポイントとなる部分だけ抜き出せば良い話です。

少なくとも私は、批判相手の文章をきちんとそのまま引用して論じています。
相手の文意を改竄しないというのは、議論が成り立つための最低限の条件なのです。

しかし、改竄者は


・文章の順序を意図的に変更した上で、
 恣意的な言葉(「であるという理由で」とか「だから」など)を挿入して文意を改竄している。
・改竄文章に「」を付けて強調している。
・改竄した文意を基に、相手(私)に詭弁という言葉を投げつけている。


などを平然と行っています。
状況証拠からして、悪意ある計画的犯行だと見なさざるをえません。
これは、極めて卑劣で悪質な行為です(当たり前ですが)。

このようなことをする人物に対しては、
議論において正しさを求めようとする態度などまったく感じられません。
感じられるのは、どんな卑劣な手口を使ってでも相手を貶めたいという欲望だけです。

ここまで堕ちたことをする人物には、
そもそも何らかの対応をすることが、(合理的な意味で)原理的に不可能になります。
なぜなら、何を言い返しても、文意を改竄されてしまう恐れがあるからです。


ただ、ここまで卑劣な行為は、同時に愚劣でもあります。
ですから、まともな第三者に判断を委ねれば、
誰が卑劣な行為をしているのかが明らかになって問題は解決すると思っていました。


しかし、予想外の事態が起こりました。
facebookなどで、それなりにまともだと思われていた人たちが、
改竄者を擁護して私への悪口を言い合ったりしだしたのです。
そのような醜悪な振る舞いを見ることは、あまり気持ちの良いものではありませんね。


やはり、まともな人というのは、数が少ないものなのかもしれません。
私は、その数少ない人物に分かってもらえるように頑張ります。
(卑劣な人々に分かってもらおうとは考えていないということです)


知的誠実性の考え方

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議論においては、知的誠実性をどのように解釈しておくかが重要です。


議論の場において、議論そのものを壊してしまうような行為があります。
そのような行為に対しては、取るべき対応がある程度決まってきます。
知的誠実性を持ち出して、誠実に対応しろということが、間違いになる場合もあるのです。


例えば客商売において、
悪質なクレーマーに誠実に対応していたら、
他の客の迷惑になってしまいます。
そのような場合は、警察に頼るなどの措置が必要になります。


議論においては、改竄行為などは致命的です。
改竄をするような相手には、そもそも議論が通じません。
誠実に対応しようとしても、その言葉を改竄されてしまう恐れがあるからです。


ですから、改竄するような奴には、
そもそも知的誠実性をもって対応することが原理的に推奨できなくなるのです。
なぜなら、誠実な言葉が改竄されて、議論の場そのものを乱されてしまうからです。


そのような場合、改竄をするような者には関わらないようにし、
一連の流れをもって第三者に判断してもらうしかありません。


その場の第三者が、
最低限の知性と誠実性を有しているなら、
誰が卑劣かが判明するわけです。


その場にいるのが卑劣な奴らばかりなら、
残念ですが、その場からは去るしかないのかもしれません。


技術の伝達

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 今日は、一日新人に専門知識について講義していました。

 新人のみんなは真剣に取り組むし、物覚えも早いので、教えるのも楽しいですね。

 教えていく中で、自分の中で新たな発見とかありますしね。

 やっぱり、まじめに物作りとかに取り組む人たちは、良い人たちが多いように思います。

 みんなで協力して、良いものを作ろうとして頑張りますからね。

 まともな人たちと、まともなことをするって、当たり前なのですが、貴重なことですよね。



世の中には、いろいろな人がいますね。
疚しいことをする人もいれば、しない人もいます。

疚しいことをしている人は、
うまくいっている内は良いのですが、
一度つまずくと次々とボロを出していきますね。
特に現代では、メールやSNSなどがありますから、
おかしさ具合をどこまでも垂れ流してしまいがちです。
その様を見ていると、疚しいことをしないで良かったと思います。

TwitterやFacebookなどで、
批判にもなっていない悪口を言い合っている人たちとか、
いい大人が何をやっているのだろうと思ってしまいます。

まあ、そんなことが快楽になっている人もいるようですが、
関わりたくはないですね。

疚しいことをしていないなら、
そういった人たちとは違う気持ちで生きていけます。
自分はそういった人たちとは違うと思えるということは、
気持ちの良いものです。

隠されていた情報が出てきた場合でも、
疚しいことをしていないなら、
こちらは何もダメージを受けないですしね。

やっぱり、疚しいことはしないに限りますね。


新人と飲む

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 今日は祭日です。休みの前日は、飲み会になりがちですよね。

 昨日は、新人が研修に来たということで、歓迎会から二次会三次会へと突入していきました。もちろん奢りましたよ(笑) 色々と話せて面白かったですね。

 明日からは、講師となって仕事の専門知識をたたき込みます。新人のこれからに役立つ知識を提供できるように頑張ろう!


 あと、新人の素直さが眩しい(笑)

 元気だしね。


 今日は、ゆったりと休日を過ごしました。

 たまっていた本を読み、梅田で遊び、釜飯を食べながら日本酒を飲み、ゆっくり語り合うとかね。

 日本酒と釜飯の組み合わせは、抜群ですな。大阪は、食がうまい!


 ここ最近はいろいろと大変だったので、今年の残りは自分のやりたいことをじっくりと取り組めると良いなぁ。



 ASREAD上に、【藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け ―『男たちの大和』と『永遠の0』を擁護する―】と【「永遠の0」にとんでもない難癖をつけてしまった京都大学大学院教授】が掲載されました。

 この二つの記事については、かなりの反響があったようです。コメント欄もにぎわっていますね(笑)

 執筆者である私からも、はじめの方は積極的にコメントに返信しています。それには、いくつか理由があったのです。

 細かいところを言うとキリがないので、最大の理由だけ述べます。それは、水面下で行われていたASREAD編集部への誹謗中傷を顕在化させ、その勢力の考え方を一般の人に公開することだったのです。ドドーーーン。

 水面下での誹謗中傷については、悪質なものには毅然と対処することで、コメントへと意見が流れるようにしていったわけです。

 そのため、コメントしてくれた方々への返信について、各人に合わせて私が回答内容を変えているのが分かると思います。そのことを念頭において見ていただくと、いっそう楽しめるかと思います。

 ただし、気分を害するようなコメントもかなりありますので、私のコメントを含めてできるだけ客観的に見ていただくことをお勧めします。

 コメント内容は予想以上で、いろいろなバリエーションの誹謗中傷や悪口の手口がそろっています。これらのコメントについて、一般の常識人がいろいろと想像できる良い材料になったと思います。

 私への好意的なコメントを書いてくださった紳士的な皆様にも感謝ですが、私への罵詈雑言コメントをまんまと書いてくださった人々も、誰かの株を上げて誰かの株を下げるような材料の提供をありがとうございます。

 一連のコメントについて、二つの記事にまたがって書いている人や、何度も誹謗中傷を繰り返している人などがいます。その文章の推移を注意深く見ていくと、その人の目的や人格がどういうものか推測できて面白いと思います。

 予想以上に都合のよいコメントが集まりましたし、そろそろ私の時間も違うことに使いたいので、今後はコメントへの返信は自粛します。

 それでは、もし興味のある方がおられましたら、以下からコメントを覗いてみてください。


【藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け ―『男たちの大和』と『永遠の0』を擁護する―】
http://asread.info/archives/1105

【「永遠の0」にとんでもない難癖をつけてしまった京都大学大学院教授】
http://asread.info/archives/1117


 ASREADに掲載された 【「永遠の0」にとんでもない難癖をつけてしまった京都大学大学院教授】ですが、なんと『永遠の0』原作者である百田尚樹氏に「ご参考までに」と紹介していただいておりました。

https://twitter.com/hyakutanaoki/status/511750750104346626


 純粋に嬉しいです。ありがとうございます。



世の中には、卑劣な人間がいるようです。
それもけっこういっぱいいるようで、うんざりしてしまいます。

とにかく、相手を貶めたいだけの人は、文意を改竄してきたりします。
要するに、文章の意味を勝手に変更して、
お前は間違っていると批判してくるような人がいるのです。
あまりにアホらしいのですが、騙されないように注意が必要ですね。

まずは論理学の基本中の基本ですが、
「対偶・逆・裏」などを知っておくと、
すぐに改竄しているなと気づくことができます。

一番低レベルですが多様されるのが、
「逆」を利用したものになります。
逆は必ずしも真ならずということを知っておくことが重要です。

この「逆」を応用した改竄手口を使ってくるような人がいます。
まず、文章の順序を入れ替えます。
そして、その間に「であるという理由で」とか「だから」とかを勝手に挿入します。
そうすることで、批判可能な文章に作り替えてしまうことができてしまうのです。

ですが、これって改竄以外の何物でもないわけです。
元の文章とは、まったく別物になっているわけですから。
しかし、改竄するような卑劣な人間は、さらに卑劣な手段を次々に繰り出してきます。
このような改竄をもって、論破したとか言い出したりします。
それを言いふらしたりします。

そんなアホな手に引っかかる人たちは、もう好き勝手にやってればとしか思えません。

ただねぇ、改竄してまで相手を貶めて、いったい何を擁護したいのでしょうかね?
擁護される方も、いい迷惑にしか感じられないと思いますがね。

とりあえず、難癖を付けてくる人の言い分に疑問を感じたら、
元の文章と見比べてみることが重要です。

批判者が、きちんと元の文章に基づいて批判しているのか、
元の文章の文意をねじ曲げて罵っているのか、
それは知的誠実性という観点から、天と地ほどに違うのです。


 日曜に、映画「るろうに剣心 伝説の最期編」を見てきました。

http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/index.html?oro=mile

 公開二日目だったけど、席がギリギリ取れた。よかった、よかった。

 前回の「京都大火編」の感想はこちら

 やっぱり比古清十郎は、福山雅治しかありえないですね。るろ剣では、比古清十郎が一番好きですね。師匠キャラの、一つの理想形だね。

 アクションシーンがスゴ過ぎて、酔いそうになってしまいました(笑)

 酔いやすいんですよね。3D酔いとかよくなるし。


 全体として、素晴らしいの一言です。伝説の最期って、そういうことかぁ・・・(意味深)。

 伊藤博文も出て来ました。なかなかの政治家っぷりです。単なる小物にしなかったところが、演出とか迫力とか考えた上でも実に良かったと思います。


 異論はあるかと思いますが、やっぱり蒼紫役の伊勢谷さんよりも、翁役の田中泯さんの方が恰好良い気がします。蒼紫は、劇場版ベジータになっていましたね(笑)。この意味、分かるかな? 分からない人は、スルーしてください。


 十本刀の扱いは、あれで良かったと思います。京都編が三部作だったら、もう少しじっくりできたでしょうが、京都編は二部作ですからね。瀬田宗次朗役の神木隆之介さんは、やっぱり演技がうまいなぁ。剣心の戦法が地味で、地味に好きだなぁ。


 本作では、やっぱり藤原竜也さんの志々雄です。恰好良すぎる。最後の戦闘は、志々雄の凄さを存分に見せつけてくれます。ラスボスの風格ばっちりです。アクションが素晴らしい。

 原作もリアルタイムで見ていたのですが、私は志々雄よりも宗次朗の方が実は強くて、志々雄は小物化すると予想していたんですよね。予想は外れましたが(笑)。原作でも映画でも、志々雄は悪の大ボスとしての風格は十分です。思想的には相容れないとはいえ、やっぱり魅力的に感じられてしまいます。


 これは、もう、星霜編やるしかないでしょ。人誅編は別にいらないので、星霜編をじっくりとやってほしいのです。かなりヒットしているのだから、やってよ。アクションシーンは少し減らして、ドラマチックな感じでやってほしい。ああ、でも緋村抜刀斎の残虐なアクションシーンは見たいかも。とにかく、続編作ってください。お願いします。



 ASREADに、【「永遠の0」にとんでもない難癖をつけてしまった京都大学大学院教授】が掲載されました。

 正直なところ、私は書きたいことがまだまだたくさんあるので、この問題を続けたくもないんですね。批判せざるをえないほどの内容だから、仕方なく批判しているだけで、本当は友達とかなくすから、積極的にはしたくないのですよ。でも、批判すべきことを批判しないのも、自分で自分が許せなくなるので、しかたなく批判するわけです。難儀なものですな。

 コメントとかへの返信も、いいかげん疲れてきたので、今後は厳選します。

 まともなコメントもありますが、変なコメントというか、単に私の揚げ足をとってやろうとしているだけの人とかもいますからね。


 とにかく、読みたい本とか、書きたいテーマとかまだまだあるので、そっち方面に脳を切り替えていきます。


 ここ数日は目の回るような忙しさだったのですが、昨日は「日本一高いビル」である「あべのハルカス」に行ってきました。ビル名称の「ハルカス」は、古語の「晴るかす」に由来しているそうです。

http://www.abenoharukas-300.jp/

 もともと土曜は、あべのハルカスに行く予定を立てていたわけです。でも、仕事の関係上ギリギリでしたね。

 木曜の夜の時点で、客先からメールが来て、金曜の出張の用意になってしまったのです。さまざまな事態を想定して、泊まりの用意もしたので、土曜のあべのハルカス行きのキャンセルも考えていたわけです。

 で、出張、九州へ。現地で聞き込みと調査をし、原因を推定し、対策立案し、客先説明し、何とか日帰りにできました。日帰りで大阪‐九州間は、けっこう大変ですね。無事に終わったので、上司にラーメンおごってもらいました。ホウレン草をベースにした緑の汁の、柚子風味のとんこつラーメンうまかったです。帰りは、グリーン席で帰りました、疲れてほとんど寝てたので、リッチな気持ちを味わう時間もありませんでしたが(苦笑)

 帰ってきて、議事録作成しているうちに日が変わるも、なんとか落ち着けることができました。そのため、無事に土曜はあべのハルカスへ行けたのです。


 

 あべのハルカスは、思っていたより楽しかったです。

 まずは、あべのハルカスダイニングでお食事です。

http://abenoharukas.d-kintetsu.co.jp/restaurant/

 その後は、あべのハルカス美術館です。

http://www.aham.jp/

 今の時期は、デュフィ展が 2014年8月5日(火)~9月28日(日)まで開催中ですね。

http://www.aham.jp/exhibition/future/dufy/

 作品によって作風がぜんぜん違っていて、実は3人くらい居たのではないかと勝手に思ってしまいました(笑)

 人間画はどこか冷たい感じで、動物などは良い意味でデフォルトされており、かわいく感じられました。色使いも独特で、いくつかの作品には心惹かれましたね。

 その後は、ハルカス300(展望台)です。

http://www.abenoharukas-300.jp/observatory/

 美術館が16階だったので、そのまま行こうとしたのですが、実は当日券は2階でしいか売っていなかったのです。

 そのため、2階→16階→2階→16階→60階→58階→59階→16階→2階、という順序になってしまいました。RPGのような感じでした(笑)

 2階で当日券を買うのに、50分くらい並び、16階では20分くらい待ちましたね。けっこう人が多くて並ぶので、時間は計算しておいた方が良いと思います。

 58階には、カフェダイニングバーで飲み物や食事を買うことができます。座って、ゆっくりと話すのが良い感じです。

 夕方ごろに行ったのですが、これは夜景もすごく綺麗なはずです。また行きたいですね。皆様も、一度行ってみるのも悪くないかもですよ。



 

 社会で生きるということは、大変なことかもしれませんが、やりがいもあります。

 まじめに働いてまじめに生きていれば、困ったときにみんなが助けてくれるようなのです。

 友達なども、もちろんそうですが、公的なものも活用できます。

 警察、弁護士、裁判所などなど。困ったときは、遠慮せずにお世話になりましょう。

 

 世の中には、まじめに生きている人たちに対し、違法行為など卑劣な手段を使ってくる人がいます。困ったものですね。

 違法行為に達しているなら、断固とした処置が必要になります。

 当たり前の話ですね。

 

 例えば、司法手続も必要になるかもしれません。

 そのときは、悪人がしてきたことを証拠としてきちんと取って置くことが重要になります。そんなものは見たくもないという気持ちも分かりますが、法律では証拠が重要なのです。小さなものでも構わないので、自分の身を守るための備えはしておきましょう。

 

 あと、違法行為への対処そのものへの妨害なども考えられます。そこで慌てることなく、冷静に対処しましょう。そこで泣き寝入りなどをしてしまうと、一生たかられてしまうかもしれません。

 心をしっかりと持って、断固たる対応をしましょう。

 あなたがまじめに生きてきたのなら、違法行為に対処することは、正しいことなのです。当たり前すぎて言うのが恥ずかしいですが、そうなのです。

 善良な一庶民や一企業としては、違法行為や脅しには屈せず、たんたんと必要な処置を取っていけばよいのです。

 そうすることが、世の中を善くことにつながりますし、新たな被害者を産まないようにすることでもあるのです。

 

 という、あまりに当たり前の話でした。

 

 

 世の中には、私とは違って善い人がたくさんいます。

 善い人のことは、私は好きなのですが、そんな人を利用しようとする悪い人もいるので注意が必要です。

 悪い人っていうのは、品性や礼儀をかなぐり捨てて人の悪口を言う人や、違法行為をするような人ですね。

 そんな悪い人に、善い人が迷惑をかけられているのを見ると、ちょっとアドバイスしてみようと思ったりします。

 それで、善い人が煩雑なことから解放され、悪い人はそれなりの報いを受ける。

 それって、正しいことですからね。

 世の中が正しくなるように、何かできるなら、しない手はないですね。


 昨日に引き続き、今日は新大阪で飲んでました。

 東京から来たKさんと3人で飲んでました。

 やっぱり、いろいろな情報とか聞けて楽しいですね。


 ところで、企業というものを考えたとき、いろいろな迷惑をもたらす人っていますよね。

 例えば、そうですね。仮にOさんとしておきましょうか。

 株式会社とかって、やっぱり企業としていろいろと対策が必要なわけです。

 企業と関わりがあり、それが切られたのに、過去の経歴を利用して行動するって、普通に犯罪行為なわけですよ。

 話を聞いてびっくりですね。

 犯罪行為はいけません。

 企業としては、犯罪行為などの違法には、公的権力を利用して断固たる措置をとる必要があります。

 相手が情に弱いことを利用していようが何をしていようが、企業として単純にまずいので、そこは厳格に対処すべきですし、そうしていないなら、そうするようにしてもらうだけですね。


 また、カルト宗教に引っかかる大学生とか、世間知らずとかも要注意ですね。

 軽薄な行動に安易についていくことはお勧めできません。

 大学生なら、もう立派な大人です。

 知らなかったとかではすまないことも多いですよ。

 つきあう人は、慎重に検討した方がよいですよ。

 道連れになって後悔しても、知ったこっちゃないですが。


 というわけで、社会のことを知らずに違法行為に手を染めても、同情などせずに、淡々と処理するだけですよね。


濃い一日

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  昨日は、濃い一日でした。

 いろいろありますと、時間の流れが引き伸ばされて感じられますね。


 あまりに低レベルな内容の文章を読んで、脱力してフニャフニャになったりしていたのですが(笑)、ASREADの中田さんと飲んで元気が出てきました。いろいろとお話できて楽しかったです。今後の展開にもご期待ください。

 あと、帰り際に私が「人間って醜いなぁ」って言ったことは撤回します。

 正確には、「醜い人間もいるなぁ」という意見になります。


 さて、今日も飲み会です。楽しみです。


 

 9月7日現在で、【藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け ―『男たちの大和』と『永遠の0』を擁護する―】に二人の方からコメントが寄せられています。

 コメントに対する回答は、実際のページでご覧ください。

 ここでは、話がずれてしまうので回答には書かなかった論点について少し解説してみます。


【トージさんのコメントについて】

 この人、すごいですね。ここまで、ありとあらゆる言説がおかしいっていうのも、逆の意味で称讃ものですよ。あまりにおかしなコメントだったため、議論を乱す要因が分かりやすく示されていることに気づきました。

 一つ目は、「公と私の分類が私と木下さんとで違う」と言っている箇所です。これって、言葉の定義が違っているということで、どうしようもないわけです。私はコーヒーが好きだけど、あなたは紅茶が好きといった趣味の問題とは、文字通りに次元が違うのです。言葉の定義が違うと、そもそも会話が成り立たないのですよ。私は、「私の定義」と言っていますが、それは「一般的な定義」なわけです。議論に行き詰った者がたまに言い出す手法なのですが、勝手に「自分はこういう意味でこの言葉を使っている」とか言い出すわけです。これって、本当にどうしようもないわけです。一人で勝手に言葉遊びをやってろって話です。こっちに絡むなよって話です。

 二つ目は、一般論を言っているだけだってやつですね。まあ、公私の定義が違うので、それ一般論にもなってねえよっていう話ですが。もう、何重に間違っているのかって話ですけどね(笑)。仮に一般論として成り立っていたとしても、それはそれでおかしいわけです。
 例えば、一般論として「挨拶をきちんとしましょう」という命題を設定します。これを、ある文脈で言ったとしましょう。A君・B君・C君という登場人物を用意し、C君にこの一般論を言ってもらいましょう。


A君「B君、おはよう。」
B君「よう、おはよう。」
C君「挨拶をきちんとしましょう。」
A君「あっ?」
B君「何、俺らの挨拶がきちんとしてなかったって言ってるの?」
C君「違います。私は一般論を言っているだけです。」
A君「このタイミングで言ったってことは、俺らにイチャモンつけてるってことだろ?」
B君「そうとしか思えないよな。」
C君「違います。あくまでも一般論だとご理解ください。」
A君「こいつ、やべぇ・・・。」
B君「もう、放っておいていこうぜ。」
C君「一般論を提示しただけで、それ以上の意味はありません。」


 ある意味で、ホラーですね(笑)
 


【でういさんのコメントについて】

 素晴らしいコメントをいただきました。きちんと記事の内容を理解されていますね。

 今回の件は、黙殺されたり、いろいろと誹謗中傷されて集団リンチ状態になることも覚悟していたんですが、分ってくれる方もいるようなので、有難いことです。


変なコメントに返答

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 ASREADに掲載された【藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け ―『男たちの大和』と『永遠の0』を擁護する―】に、コメントが寄せられていたので返答しておきました。

 それにしましても、ありとあらゆるところが変なコメントだと、議論として有意義なものにならないので困りものです。

 特に、人が言ってもいないことを、言ったかのようにして批判してくる奴ってのは、卑劣ですね。卑劣な奴には、容赦はしません。

 まあ、批判的なコメントは来るかもしれないとは思っていましたが、これだけ全部が全部変なコメントが来るとは思ってなかったですけどね。

 異論や反論は大歓迎ですが、少なくとも問題の記事に書いてあることに沿った意見を出してほしいものです。



難波で遊ぶ

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 今日は、午前中は本を読んで、午後は難波で遊んできました。

 ほとんど喫茶店で、話をしていたわけですが。

 おみやげに、スイス製のチョコレートをもらった。うまい。

 久しぶりに、平穏な休みを送れました。


 ついに、ASREADに【藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け ―『男たちの大和』と『永遠の0』を擁護する―】が掲載されました。

 掲載してくれたASREADに感謝します。

 ただし、この記事の内容については、全責任は私にあることを明記しておきます。


 一般的で筋の通った異論や反論がある場合は、コメントなどに書いてください。

 その際は、できるだけ見ている人にも分かるように書いてくださると助かります。

 なぜなら、そこには単なる中傷とは異なるものとしての議論が生まれるからです。


 この記事について、丸三日かかりました。

 関係する本を買い、読み、必要な箇所をまとめ、構成を考え、文章を書いていく。

 普通に社会人をしていると、丸三日って、けっこう貴重ですよね。

 我ながら、何をやっているのだろう?


 だって、これには利がない。まったくない。むしろ、マイナスだ。

 ただ、多くの人から嫌われるだけだろう。

 だから、これは一つの謎なのだ。

 分かる人にだけ分かる、ちっぽけな何か。


PS.

 どうやら奇跡的に、この記事の価値を分かってくれる奇特な方もおられるようです。そのため、この記事は、私だけが納得できていればよい自己満足の作品、という領域からは抜け出せたようです。

 有ることが難しいという意味においても、有難いことです。



 今日の【三橋貴明の「新」日本経済新聞】は、

 柴山桂太さんの「ブレトンウッズの闘い」です。

 面白そうだったので、仕事の帰りにベン・スティル『ブレトンウッズの戦い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造』(日本経済新聞社)を買ってしまいました。

 この値段の本を、悩まずにポンと買えてしまうというのは、大人になってよかったなって思うときですね。

 学生なら、かなり迷いますからね。

 図書館で借りたくても、まだ入ってなかったり、誰かに借りられていたり・・・。

 面白い本を読むのは、贅沢なことですなぁ。


 最近、本ウェブサイトで、『保守主義への挑戦状』の中の非「保守主義」者であることについてにけっこうアクセスが集まっているみたいです。

 なんでそこ? とか思ったり。

 まあ、ASREADの【中島岳志の「我々は洋の東西を超えた『保守の普遍的構造』を見出すことができる」発言について】とかが原因なんでしょう。

 私は、自由主義者や社会主義者よりも、保守主義者の言い分の方がうなずけるところが多かったので、大学生のときから少しは読んでいました。でも、違和感もずっとあって、自分は保守主義者にはならないだろうと考えていました。今後も、私が保守主義者になることはないでしょう。

 でも、学ぶべきところはいっぱいあると思います。

 私が保守主義者にならない理由は、8割くらいは『保守主義への挑戦状』に書いてあるので、興味のある方は参照してみてください。残りの2割は、秘密です(笑)

 最近は、何が保守かとかには、ほとんど興味なしです。

 保守はこうだとか、保守だから正しいとかいう言説には、ちょっとついていけません。保守であるかどうかとかは、正直どうでもよいので、なぜそれが正しいのかをできるだけ客観的に論じてほしいのです。

 保守を名乗るなら、保守が正しい理由を教えてほしいのです。

 まあ、正直なところ、そんなに教えてほしいわけでもないですけどね(笑)


 世の中には、しょうがないことってありますよね。

 近いうちに公開されるであろう記事で、じわじわ増えてきていた本ウェブサイトの読者も離れていくかもしれません。

 しょうがないですね。


 思想的なことを突き詰めていくと、孤独な戦いになってしまうのかもしれません。

 さびしいものですね。


大衆批判について

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 最近、ちょっとあって大衆批判について少し調べていたりします。

 そこで、いろいろと考えるべきことが出てきました。

 その課程で、大衆批判から生まれたと思われる怪物にも出会いました。

 ですから、先に、その怪物を退治しておなければならなくなったりしました。

 なぜ、その人は、そんな変なことを言うのか?

 それは、大衆批判が少なくない影響を及ぼしていることに気づいたり・・・。

 なんてね。

 難しい問題です。


 なぜ、自分はこんなことをしているのだろう?

 だって、誰もそんなものは見たくもないのに・・・。

 それを知りたいのは、おそらく自分一人だけなのに・・・。

 不都合な真実。

 知りたくもない現実。


 それと向き合う覚悟のある人は、おそらくはほとんど居ないのだろう。

 だけど・・・。



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