2021年11月アーカイブ

イワン・カラマーゾフ「世界の人間が小さな受難者の、償われざる血潮の上に建てられた幸福を甘受して、永久に幸福を楽しむだろうというような想念を、平然として許容することが出来るかい?」

出来ない!と思ったなら読む本




「幽玄」という言葉を理解したいのなら、中国の古典の『老子』『金剛般若経疏』を読んだ上で、日本の古典の『一心金剛戒体秘決』『古今和歌集』『和歌体十種』『毎月抄』『無名抄』『徒然草』『正徹物語』『筑波問答』『心敬僧都庭訓』『さゞめこと』『長六文』『花鏡』『至花道』『風姿花伝』などを読む必要があります。
なかなかに厳しいですよね。でも、大丈夫。これを読めば、それだけでばっちりです。



イワン・カラマーゾフ「一体この世界に、赦すという権利を持った人がいるだろうか? 僕は調和なぞほしくない、つまり、人類に対する愛のためにほしくないというのだ。僕はむしろ贖われざる苦悶をもって終始したい。たとえ僕の考えが間違っていても、贖われざる苦悶と癒されざる不満の境に止るのを潔しとする。」

はっきり言っておきましょう。イワンは間違ってはいないのです。

だからこそ、恐ろしい......。



「言霊」の意味を知りたい場合は、『万葉集』『続日本後紀』『大鏡』『賀茂保憲女集』『散木奇歌集』『清輔朝臣集』『倭字正濫抄』『万葉代匠記』『祝詞考』『万葉考』『語意考』『倭訓栞』『古事記燈』『真言弁』『古事記伝』『くず花』『祝詞講義』などを読むとよいでしょう。

面倒でしたら、これを読めば十分です。



イワン・カラマーゾフ「すでに罪なき者が苦しめられてしまった後で、地獄なぞがなんの助けになるものか! それに地獄のある所に調和のあろうはずがない。僕は赦したいのだ、抱擁したいのだ。決して人間がこれ以上苦しむことを欲しない。もし子供の苦悶が、真理の贖いに必要なだけの苦悶の定量を充すのに必要だというなら、僕は前からきっぱり断言しておく、―― 一切の真理もこれだけの代償に値しない。」

この真理はとてつもなく、重い。



「もののあはれ」を知りたいなら、紫式部の『源氏物語』や『拾遺和歌集』や『徒然草』を参照した上で、本居宣長の『紫文要領』と『石上私淑言』を読めばばっちりです。

面倒なら、これだけ読めばばっちりです。


世界哲学史3』(ちくま新書)には、「キリスト教哲学で悪の問題がテーマになるのは、神が全能であるにもかかわらず、なぜ悪が生ずるのか、という疑問が生ずるからである」という記述があります。

でも、実は、キリスト教の神を無視したところで考える「悪の問題」のほうが、ずっとたちが悪くて、攻略が困難なのです。



日本の「大和魂」を知りたいなら、『後拾遺和歌集』『源氏物語』『大鏡』『今昔物語集』『中外抄』『愚管抄』『歌意考』『うひ山ぶみ』『古道大意』『沢能根世利』『夜明け前』などが参考になります。

でも、そんなに読むのが面倒なら、これを読めばわかります。


『世界哲学史3 ──中世I 超越と普遍に向けて』(ちくま新書)には、「人間の営みにおいて、悪の問題を避けて通ることはできない」という記述があります。

避けては通れない「悪の問題」について、徹底的に考え抜いたらどうなるかの結末がここに。


日本の「和」を知りたいなら、『論語』と『十七条の憲法』の比較の上で、『国体の本義』『新古今和歌集』『葉隠』『夢ノ代』『万葉集』などを読むとよいでしょう。

それは面倒だというなら、これを読めば、ばっちりです。


ヘーゲルの『法の哲学』では、〈「正義が行なわれよ」ということは、「世界はほろびよ」という結果をもってはいけない〉と語られています。カントに比べると柔軟で妥当な対応をしているようです。

でも、だからこそ、ヘーゲルだとここにはたどり着けないでしょう。



」の章では、日本人の愛が語られます。

古代の「愛」、仏教の「愛欲」と「喜愛」、儒教の「仁愛」、キリスト教の「愛」と「大切」など、けっこう幅広くて面白いのです。



自然法則と善悪は異なる概念ですから、カントの定言命法は間違っています。一方、仮言命法は別の何かに到達する手段として(善い)行為を命じるものです。道徳は定言的ではなく、仮言的なものだという立場こそが重要なのです。

そういった立場で論理を進めて行くと......?



「優しさ」の章では、なんと「優しさ」の構造を明らかにしています。

甘ったるい現代的な優しさではなく、古語の痩せてしまうほどの厳しさを併せ持つ優しさの姿が明らかに!



カント哲学において、定言命法とは、普遍的法則として妥当しうるような格率だと定義されます。何らかの意図や他の目的がなくても、それだけで客観的で必然的な実践的原理なのです。つまりカントは、道徳について、自然法則のような絶対的な必然性があると考えたわけです。

変な考えですよね?

自然法則の性質を道徳にも当てはめてしまったわけです。






「もの」と「こと」の章のところは、長谷川三千子さんの名著『日本語の哲学へ(ちくま新書)』の論理に基づいています。

これ、ものすごい本ですよ。本物の議論に出会えてお勧めです。



滅びの可能性について言及した哲学者にカントがいます。彼は『人倫の形而上学』で「もし正義が滅びるならば、人間が地上に生きることはもはや何の価値もないからである」と述べています。

なかなかに過激な意見ですよね。


日本式 心哲学】の次は、【日本式 自由哲学】を出したいなぁ。

心は自由を求めるのか、それとも?



哲学者のベルクソンは『道徳と宗教の二源泉』で、「そんなことが許されるくらいなら、もう何ものも存在しなければよいのだ! むしろ地球が破裂すればよいのだ!」と語っています。

では、地球が破裂すればよいというほどの理由とは?



」の哲学では、道元『正法眼蔵』の[有時]に踏み込みます。

日本史上における最高峰の哲学書への挑戦です。

道元「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有は、みな時なり。」

  「このゆへに、同時発心あり、同心発時なり。」

  「有時なるによりて吾有時なり。」



大魔王バーン様「...行くぞ...。皆の者よ...。世界に破滅をもたらすために...。」



世界の十大小説』でW.S.モームは、『カラマーゾフの兄弟』について、〈けっきょく悪の問題は依然として未解決で、イワン・カラマーゾフの告発は、いまだに答えられていないのである〉と述べています。

この問題のはらむ闇は、絶望的に深いものなのです。



」の哲学。

心と世界。心の思い。心と身。心と心。心の自性。心の自由自在。心の階層。心と道。心と死。



世界の十大小説』(1954 年)においてW.S.モームは、『カラマーゾフの兄弟』について〈多くの批評家は、この作品の主題は神の探求であると言っている。だが、私だけの考えを言わせてもらえば、主題はむしろ悪の問題なのだ〉と述べています。

さあ、「悪の問題」を巡る旅へ出かけましょう。



」の哲学では、歌の「心」と、「心」の歌の両面が参照されることになります。



ハヤカワ文庫SF『風の十二方位』に載っているアーシュラ・K・ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』は特殊な作品です。

特殊な哲学的な問題が提起されています。オメラスから歩み去る人々は、なぜに理想的な都市から歩み去るのでしょうか?

そして、その理由は......。



」の哲学。

日本では「清明心」「自力と他力」「正直」「誠」「真心」といった観点から、心の哲学を論じることが可能でしょう。



アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが、1891年に発表した『信ずる意志』(作品社『プラグマティズム古典集成──パース、ジェイムズ、デューイ』に収録)の第八章[道徳哲学者と道徳的生活]についての記述を引用しています。



ドストエフスキーの『罪と罰』って、題名からして格好良いですよね。

でも「罪」と対比すべきは、「罰」よりも「恥」ではないでしょうか?

恥と罪」についての考察がはじまる......。



イワン・カラマーゾフ「哀れな女の子の、一滴の涙にすら値しないからだ! なぜ値しないか、それはこの涙が永久に贖われることなくして棄てられたからだ。この涙は必ず贖われなくちゃならない。でなければ、調和などというものがあるはずはない。しかしなんで、何をもってそれを贖おうというのだ? それはそもそも出来ることだろうか?」

出来ないという残酷な真実!



日本式の「遊び」の理論。

日本では、神が遊んで、仏が遊んで、人が遊びます。

歌に遊び、芸に遊び、俳句に遊び、境に遊ぶのです。



イワン・カラマーゾフ「なんのために子供までが苦しまなけりゃならないのか、どういうわけで子供までが苦痛をもって調和を贖わなけりゃならないのか、さっぱりわからないじゃないか!」

イワン・カラマーゾフの発したこの問いは重い。

そこから先へ進むと......。



不易流行」というと芭蕉ですよね。

その意味を知っている人も多いかと思いますが、実は芭蕉の弟子たちの間でこの意味の解釈が大きく二つに分かれているのです。一つは有名ですが、もう一つは意外に知られていないと思います。



honto様の期間限定価格で、飲茶さんの『哲学的な何か、あと科学とか』『哲学的な何か、あと数学とか』『14歳からの哲学入門』が出ています。飲茶さんの著作に外れはないので、読んだことがない方はこの機会に是非!

同じページにある他の本(心哲学理由)もお勧め(笑)。



苫野一徳さんの『』は興味深く読める著作です。

【日本式 心哲学】日本人なら知っておくべき言葉』の第15章も「愛」です。方向性が違うので、どちらを読んでもためになりますよ。きっと、たぶん。



honto様の特集に載せていただきました。



時処位」って知ってますか?

ずばり、日本版のTPOです。

面白いですよ。



イワン・カラマーゾフ「いいかい、すべての人間が苦しまねばならないのは、苦痛をもって永久の調和を贖うためだとしても、なんのために子供がそこへ引き合いに出されるのだ、お願いだから聞かしてくれないか?」

カラマーゾフの兄弟』で出されたこの問いは重い。

そこから先へ進むと......



序破急」って言い方が格好良い。

「急」を「Q」と変えたのが、某映画。

なんにせよ、完結してよかったです。



仙水忍「世の中に善と悪があると信じていたんだ。戦争も、いい国と悪い国が戦ってると思ってた。可愛いだろ? だが、違ってた。オレが護ろうとしてたものさえクズだった。」

確かにそうかもしれない。でも...



来住英俊さんの『キリスト教は役に立つか』(新潮選書)はなかなかに面白いです。

この本の中で、『カラマーゾフの兄弟』のイワンの「悪の問題」に触れた箇所があります。来住さんは「イワンの議論は鋭いもので、反論はほとんど不可能に思えます」と述べています。そうです。イワンの議論に対して反論は非常に難しいと言うか、ほとんど不可能に思えてしまうのです。

しかし、無謀にも反論を試みてしまう者もいるのです。



バーナード嬢曰く。』の神林しおりは、表紙が黒い本が好きだそうな。

神林いわく、「黒っぽい本は中身が素晴らしい割合が高く、結果的に表紙もセンス良く感じてしまう......っていう」わけで、黒い表紙の本を出してみたわけで。

しかも、二冊も同時に(笑)。



「わび」と「さび」の違いをご存知でしょうか?

「わび」と「さび」は異なる概念なので、「わび」と「さび」と「わび・さび」はそれぞれに違う意味を担うことになります。

詳しくはこちらから。



イワン・カラマーゾフの「悪の問題」は、哲学者のベルクソンが『道徳と宗教の二源泉』で少し触れています。少しだけ。

ガッツリ触れるなら、こちらから。



森岡正博さんの『生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ!』は、「反出生主義」に対して、存在と生成の対比から結論を導く提案が興味深いです。

私の個人的な意見なのですが、「反出生主義」は『カラマーゾフの兄弟』のイワンが提起した「悪の問題」の一部ではないかと思っています。

そのため、「反出世主義」に対する議論は「悪の問題」へと進まざるを得ないように思えるのですが、いかがでしょうか?


幽玄」って不思議な言葉ですよね。

「それは有限だね」って言われたら、意味はわかりますよね。

でも、「それは幽玄だね」って言われたら、意味はわかりますか?



ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の3兄弟のうち、誰が好きですか?

私はイワン・カラマーゾフです。

哲学的ですよね。


言霊」という言葉は、日本人の非合理性を非難されるときに出てきたりします。

しかし、厳密に検証してみると、非合理なところはまったくなく、合理的でまっとうな概念なのです。



『幽遊白書』の仙水忍をご存知でしょうか?
『幽遊白書』好きには刺さると思いますよ。
世界の終わる理由』。



天才・本居宣長が示した「もののあはれ」。その概念を説明するのに、18の図を必要としました。たった一つの言葉を説明するのに、18の図が必要って、すさまじいですよね?



世界の終わる理由』[第Ⅰ部]第1章は「最強の真実」です。

いきなり最強の真実キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!



【日本式 心哲学】日本人なら知っておくべき言葉』の第2章は「大和魂」です。

はたして大和魂とは雅(みやび)なものなのか? それとも勇ましいものなのか?

その答えはここに。



世界の終わる理由』の「はじめに」は"警告"となっています。本の最初が"警告"って、なんじゃそりゃって感じですよね。どんなやばい本やねんって気がします。



【日本式 心哲学】日本人なら知っておくべき言葉』の第1章は「和」です。
「和を以て貴しとなす」という言葉は有名ですよね。

和の尊重は『論語』からの影響があるのですが、『論語』とは違う観念もそこにはあるのです。そこを丁寧に論じています。



世界の終わる理由』は第Ⅰ部「謳われぬ詩」と第Ⅱ部「詠われる歌」に分かれています。ある意味で第Ⅰ部で完結しています。第Ⅱ部が必要かどうかは、あなた次第。


本日、『【日本式 心哲学】日本人なら知っておくべき言葉』と『世界の終わる理由』が同時発売しました。両方とも、かなり密度の濃い内容になっています。

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