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2013年8月アーカイブ

 今日からまた出張です。

 仕事が一段落したら帰ってきます。

 大分涼しくなってきたんで、楽になってきましたね。

 そう思ってたら、また暑くなるかもだけど(汗)

徒然

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 うがー。

 仕事で、自分の知らないところで勝手なやり取りがあって、そのためにランダムな現象が発生して、右往左往。

 疲れるわ。

 まあ、色々とあるけど、社会人は頑張るのです。

 最近、ツイッターなどのネットで、不謹慎な投稿が社会問題化していますね。

 「ツイッターにパトカーの屋根に乗った写真 19歳の少年2人逮捕」とかね。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00252587.html

 ツイッターって、今のところ私はやっていないのですが、もしやることになったら、気をつけなくてはいけませんね。

 簡単に投稿できることが、思慮深い行動から人を遠ざけてしまうことがありえるのだと思います。

 言葉そのものもそうなのですが、一度口にしたら、取り返しがつかないってことがあるのですよね。

 特に、それなりに社会人をやっている人なら分かると思いますが、社会では、言葉の重みが学生の頃とは違うわけです。

 ツイッターなどのネットでの言論は、単に喋るのとは違って、ある種の証拠として残ってしまうってのも、怖いところですよね。

 簡単に発言できて、証拠として残ってしまう。それゆえ、人間の本質というか、人間の様々な面が浮き上がってくるといったこともあるのかもしれません。

 何かを話すとき、思いついたことをそのまま話してしまう人もいますし、じっくり自分の頭の中で練ってから言葉にする人もいますよね。

 私自身は、人様にはとても言えないようなことを良く考えていたりするので、言葉はできるだけ慎重にしているつもりです。あくまで、つもりですが。

 私がぶっちゃけた調子で何か言っているときって、実は戦略的に話していて、罠をしかけていたりするんですよね。

 ある意味でぶっちゃけるって、この社会を生き抜く上で、かなり有益なテクニックなのですよ。

 溜め込んでおくと、いつか爆発しちゃうしね。

 我慢するときは我慢するとしても、我慢のし過ぎはあまり宜しくないのです。

 ぶっちゃけるときは、一旦自分を客観視し、それから現状の打破を狙ってぶっちゃけると、効果的に事態を打開できたりするのです。

 まあ、無理にお勧めはしません。この方法には、向き不向きもあるでしょうし。

 あくまで、参考ってことで。

 自分は、そうとう物欲がない方だと思う。

 ただ、知識欲というか、本はほしいと強く思う。

 本以外は、割とどうでもよい。

 でも、社会人だし、それはそれで問題があると思う。

 本以外にも、色々と買って、景気回復に貢献しなければ。

 などと言いつつ、今ほしいのは、F.H.ナイトの『危険・不確実性および利潤』です。

 でも、絶版で、中古でも値段がちょっとお高い。

 もうちょっと安くなったら買いたいかも。

 でも、 『危険・不確実性および利潤』が絶版になっているのって、日本の書籍流通市場における犯罪だよな。

 他にも、もっと読んでほしいけど絶版で手に入らない本とかあると、ウガーと思う。

 特に、ヨハン・ホイジンガの『朝の影のなかに』とかが絶版になっているのって、日本の書籍流通市場における重犯罪ですな。

徒然

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 昨日は、大阪から長崎へ向かって、今日は、長崎から大阪に帰ってきました。

 たまに行くくらいだと、九州も近いなぁと思うけど、これだけ行き来すると、けっこう時間がかかるなぁという感想になってくる・・・。

 行きの新幹線の中で、母親の手をかりないと歩けないくらいの小さな男の子がいた。俺の横を通り過ぎるとき、笑顔で手を振ってきた。

 俺も、にや~として手を振った。母親がお礼を言った。

 こんなとき、仕事頑張らなきゃと思う。

 知り合いの赤ちゃんとか抱かせてもらうときとかもそうだけど、こういうときって、日本を良くしなくちゃねと思う。

 ヒュームみたいに、こういうとき、理性は感情の奴隷だなぁと思う。

 その後、佐世保駅に着いて、そこから出るとき、24時間テレビの募金集団がいた。

 結構な年齢の人たちが大声を張り上げていた

 俺は、募金せずに苦笑いで去っていった。

 そのとき思ったことは二つ。

 一つは、定年後にやることなくて、ていの良いボランティアにやりがいを見出してるのって、なんか微妙だなぁということ。

 もう一つは、こういったボランティアって、なんか偽善的だなぁということ。

 ボランティアでやることって、本来は行政でやるべきことでしかないと思う。

 ボランティアだと、金額的なものも含めて、かなり雰囲気に左右されて安定しない。

 逆説的だけれど、ボランティアを必要とする事業って、ボランティアに向かないわけよ。

 例えば、障害者支援なんかは、行政で安定的にケアしないといけないわけだし。

 あと、その後は、少し奮発して、国産黒毛和牛のレモンステーキを食べた。めっちゃうまかった。

徒然

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 やっぱり、哲学系の本って面白い。

 経済系の本は、ちょっと飽きてきた。

 小説系も書きたいなぁ。

 論文って、短くても良いから気軽に書けるけど、小説に入り込むと、どっぷりとなるから気合いが必要なんだよなぁ。

 などと、取り留めのないことを書いてみる。

 あと、仕事が忙しい。

 我ながら、よく夏ばてせずにやれてるなぁ。

 色々とやらないといけないことは多いけど、とりあえず頑張るのです。

 

 今日は、また九州へ行くのです。

 で、明日には戻ってくるのです。

 九州での仕事も、そろそろ終わりが見えてきたかな。

 その人がどのような思想を選ぶかということは、その人が何を問題としているかによるところが大きいのだと思います。

 一体、何がその人にとって大問題なのか?

 もっと言うと、私は何について気になって仕方がないのかということですね。

 その問題意識が、その人を思想や哲学と呼ばれる、基本にして窮極の領域へといざなうのです。

 例えば、保守思想ってありますよね。保守思想については、『保守主義への挑戦状』を書きましたが、当然ながら、公開しても良いと私が思うことしか書いていないわけです。つまり、ここには書かれていないことも多々あるわけです。

 私は、保守主義に関係する本は日本のものも西洋のものも結構読んでまして、そこからは多くを学ばせていただいたわけです。それでも、私は非・保守主義者なわけです。

 なぜかと言うと、私の問題とすることについて、保守思想では太刀打ちできなかったからですね。私は私の問題と対決するために、保守思想ではなく、日本思想を必要としたのです。

 ここには、重要なポイントがあると思われるのです。

 あなたの問題意識が、保守思想によって解決できるなら、保守主義者になれば良いわけです。あなたは、あなたの問題意識に合った思想を参照すれば良いと思うのです。少なくとも、私はそう思うのです。

 で、私の問題意識はぶっ飛んでいるので、おかしな方向へ走りだしているわけですな。

 問題意識って、共有できる人と共有できない人がいるのですよね。ある人にとっては、それが切実な問題なのに、他の人にとっては、心底どうでもよい問題だったりするのですよね。

 歴史を振り返ると、思想や哲学上の天才って、独自の問題意識をもって、それの回答を追い求めた人が多いのですよね。

 それを見て、すげ~と思う反面、そこに横たわっている孤独の深さを感じてしまうのです。

 そこには、底の見えない深淵が立ちふさがっているように思えるのです。

 

 人間は、多かれ少なかれ、何らかの思想を持って生きているわけですね。

 思想とか興味ないって人でも、よく観察してみれば、既存の何らかの思想に近い部分を見出せたりできるわけです。

 で、思想というものを問い詰めていくと、自己の思想的立場を表明するような瞬間があったりするものなのです。

 人間は、自分の思想的立場を選ぶ瞬間があるかも?ということですね。

 それで、その思想についてなのですが、注意点があるわけです。

 それは、それぞれの思想には、それぞれの特色があるということです。

 もっと言うと、思想の原理みたいなものがあったりするのですな。

 そうすると、一旦その思想的立場を得てしまうと、直面した事態に対して、単にその原理を適用して満足するようになってしまうという陥穽があるのです。

 例えば、何々派の何々主義の立場から、何々については評価できないとか簡単に言ってしまったりするようなこともあるわけです。

 えっ? 『表現者50』の感想? まあ、参考にはなるかと・・・。

 つまり、何が言いたいかというと、思想的立場を表明することには、少なくない危険性が含まれているということですね。

 私自身も、自分の思想的立ち位置を日本の道の思想と表明していますからね。そこで、思想が凝り固まってイデオロギー(固定化された観念の形態)にならないように注意しないとね。

 

 

 九州から帰ってきました。

 夏の九州は暑いっす。ここ数日は、尋常じゃない汗をかいた・・・。水分補給しまくった・・・。

 暑いと食欲なくなるっていうけど、そんなこと言ってらんないね。

 めちゃくちゃ食べないと、リアルに倒れちゃうね。

 とりあえず、長崎ってことで、佐世保バーガーに長崎チャンポンに皿うどんに、大量に食べてきました。チャンポンとか、野菜がたっぷりで良いね。

 明日は、さすがに体力回復させたい。

 今日でお盆休みも終わりですな。

 まあ、半分くらい仕事してた気がしますが・・・。

 明日から、また九州へGOです。

 帰ってきたら、また更新再開します。

 シーユー。

 ECONOMICS雑考マルサス『人口論』を追加しました。

 とりあえず、経済学は4論文か・・・。

 まだ、先は長いなぁ・・・。まあ、気長にやります。

 書くべき本については、絞って目星はつけているし。

 でも、経済系って、本が絶版とかなっているのが多いなぁ。

 ECONOMICS雑考に、アダム・スミス『国富論』を追加しました。

 アダム・スミスさん、文章が、長くて冗長です・・・。

 それでいて、間違ったこと言うのは、読む方もきついっす・・・。

 梅田に行くと、散財してしまう・・・。

 おそろしや、大都会。

 というわけで、(←どういうわけだ?)今日も本を買ってきたのだ。

 買ったのは、以下の通り。

・『表現者50号』

・『ミステリを書く! 10のステップ』野崎六助

・『考える力をつける哲学問題集』スティーブン・ロー、中山元 訳

・『哲学ファンタシー』レイモンド・スマリヤン、高橋昌一郎 訳

・『ケネーからスラッファへ』菱山泉

・『商品による商品の生産』ピエロ・スラッファ

・『純粋経済学要論』ワルラス

・『修羅の門 第弐門 10』

 やっぱり、哲学は好きだな。

 あと、勉強のために経済系も少々。

 この中のどれかは、感想を書くかもしれない。

 今日はお仕事でした。

 仕事頑張ったと言いたいところですが、食あたりで頭がいたくてまともに仕事できんかった_| ̄|○

 多分、ツナパンがあかんかったんや・・・。

 一回吐いたら楽になっていったけどね。

 暑いから、食べ物には気をつけよう。

 自分の場合、食べ物にあたると、腹にくる場合と、頭がガンガンする場合がある。

 にんにくとか食べても、頭が痛くなるときがある。にんにく好きなのに・・・。

 三橋貴明さんのブログ読んでいたら、次のような話がありました。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11592316933.html

> ところで、先日のチャンネル桜の討論で、
> 西部先生とわたくしが「消費税増税」を巡り議論をしましたが、
> 西部先生はまさしく「日本の社会構造」の問題として消費税増税を推していたわけです。
> 別に、わたくしは日本が「中福祉、中負担」という社会構造を目指すことを
> 否定するわけではありません。
> とはいえ、この種の「構造」的な問題は、景気が巡航速度に乗った後、
> じっくりと考えるべき
だと思うわけです。

 なんのことかと思ったら、西部邁さんと三橋貴明さんが討論していたんですね。

http://www.youtube.com/watch?v=M3stv-wzrl4&list=PLubSbhcjV7IDKuBvhlLSCHQpZEP-leWRH&index=3

 ↑これですな。

 私は西部さんも三橋さんも尊敬していますが、特にしがらみとかはないのであっさり言ってしまいますが、公平に見て三橋さんの言い分の方が正しいですね。

 西部さんは、税率が低すぎるから国民の税負担をもう少し上げた方が良いって言っていますね。つまり、「中福祉、中負担」を目指すべきだと言っているわけですね。

 それに対し三橋さんは、税率は目的じゃなくて手段だって言っているんですよね。

 まあ、三橋さんの言い分に理があると思います。日本の税率が低いってのも、ヨーロッパとかの相対比較でしかないわけです。日本の状況によって、税率は調整すれば良いという話です。例えば今の消費税5%についても、それが高いという状況もあるし、低いという状況もあるわけです。極論を言えば、デフレ脱却のために、消費税減税だって検討すべきなんですよね。具体的には、インフレ率が2%に達するまでは消費税を3%にし、達したら5%に戻すとかですね。インフレ率が4%になったら8%にするとかですね。まあ、これは例えなので、数値とかは適当なんで、そういう考え方もあるよって意味で聞いておいてください。

 現在の経済問題においてはインフレとデフレを考慮に入れるべきですから、「中福祉、中負担」を目指すのは必ずしも正しくないと言えると思うのです。これまでの『表現者』とか見ても分かる通り、西部さんは昔から消費税増税には好意的ですよね。三橋さんの意見を聞いた後では、そこに賛成はできなくなりますよね。

 もっと先鋭化して論じるなら、、「中福祉、中負担」は、「高福祉、高負担」や「低福祉、低負担」と同列に並ぶ手段の一つなんですよね。では、そのときの目的は? 当然、経世済民が目的になります。経世済民の立場から考えて、「中福祉、中負担」が良いときはそれを目指せば良いし、そうでない場合は目指すべきではないというだけの話ですね。

 ですから、長期的に考えて「中福祉、中負担」を目指すべきなのではなく、長期的に考えて「中福祉、中負担」を手段の一つとして考えておくのがより良い経済政策だと思うわけです。

 あと、もう少し先を含めて考えておくと、大雑把に言うと、(1)増税・減税、(2)規制緩和・強化、(3)公共拡大・縮小という三つの手段がありますよね。

 でも、この三つについても、個別に考えておくべきだと思うんですよ。

 インフレ・デフレおよび好景気・不景気を含めて、最も柔軟に変更して対応すべきは(1)だと思います。経済状況によって、簡単には変えてはいけないのが(2)だと思います。(3)はその中間で、危機に対応できるだけの公共能力を維持しながら、状況に応じて増減すべきだと考えています。

 まあ、経済については勉強中なので、もっと良い意見を聞けば考えが変わるかもしれませんけどね。

 今日は8月15日ですね。

 そんな日だけに、ちょっと考えてみます。

 国家などの共同体では、善悪における共通性が必要となるため、ほぼ必然的に歴史に言及するようになります。歴史に言及するときには、当然ながら、先祖たちに向き合うことになります。一般的には、先祖を称えることが国家を維持する有力な方法になります。

 ただし、国家などの共同体は、他の共同体との関わりにおいて存続します。そのため、ある国家が先祖を称える行為は、他の国家からの干渉を受ける可能性があるわけです。もしくは、一つの国家内においても、その中に存在するグループごとによって、先祖の称え方について相違が生まれる場合もあります。

 ここには、(不思議なことにあまり言及されることのない)一つの大きな論点があると思うのです。

 その論点とは、「国民による"生者"と"死者"の対比」という問題です。

 簡単に言ってしまうと、生者を尊重して死者をないがしろにするか、死者を尊重して生者をないがしろにするか、二つに一つという状況がありえるということです。

 このような場合、実用主義的に、生者を優先するという思考が生まれます。死者は死んでしまって居ないのだから、現実に生きている生者を優先すべし、ということですね。

 これはこれで、理に適っています。一見理に適っているのですが、歴史を注意深く観察したとき、面白い結果になることが、分かる人には分かると思います。

 私は『日本式論』というホームページを運営していることもあり、日本の思想に基づいて考えてみようと思います。

 日本では、死ねばみんなが神様仏様になるわけですね。死ぬと仏様になって、しばらく経つと神様になるという考え方もあるようですね。

 つまり、日本では、死者は生者よりも偉いのです。ドドーーーン!

 私の親類関係では、実は戦争での死者っていないんですよね。それでも私は、日本の英霊に最大限の敬意を表しているわけです。

 私にとっては、生き残って大東亜戦争に否定的になった親類よりも、日本のために散った親類でもない英霊の方が偉いのです。

 私は、死者への侮蔑って基本的に嫌いなんですよね。もちろん、ヒトラーとかスターリンとかは侮蔑しますけどね。つまり、きちんとした理由なしに、自分の好みとかだけで死者を侮辱するやつは赦せんってことですね。

 死者をバカにするって、簡単だし安全ですからね。でも、そういうのって、何か嫌ですね。そう思いませんか?

 だから私は、死者をおとしめる生者に喧嘩を売るという、非常に非生産的で賢くない生き方をしているわけですね(笑)

 我ながら、バカな生き方だなぁ。

 

 今日は、大阪歴史博物館でやっていた「エヴァンゲリヲンと日本刀展」に行ってきました。大阪歴史博物館そのものも初めてだったので、常設展もいっしょに見てきました。大阪って、どんどんおしゃれになっていますね。

http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2013/evangelion.html

 ロンギヌスの槍があったぞ(笑) すごいなぁ。こういうの作るのって、意外に難しいんですよね。こういう一品ものって、めっちゃ高いんですよね(笑)
 エヴァ展オリジナルプレートへの銘切りもやってきたぞ。全日本刀匠会の職人さんが銘を彫ってくれたのだ。やったね。
 実は、大学時代に居合をやっていたので、管理人モトは日本刀大好き人間なのですよ。あ~、日本刀は美しいなぁ~。直刃もいいけど、乱刃もいいなぁ。
 展示会を見た後は、近くなので大阪城も見てきたぞ。大阪城は、たぶん三回目だな。なんかかなりしっかりしていて驚いた。観光地として完成されているじゃないか・・・。1回目に来たときは、確か中学くらいで、そのときはまだ補修の跡が残っていた思い出があるけど・・・。
 あと、やっぱり、外国人が多かったな。円安の影響かな? それで、やっぱり暑かった。混んでいるからって、8階まで人力で上り下りしなきゃ良かった・・・。昨日のフィットネスで筋肉痛なのに・・・。
 まあ、そんなわけで観光を楽しんだりしたのです。良い休日の過ごし方だね。

 今日は火曜ですが、久しぶりの休日なので、感覚的には土曜な気がする・・・。

 土日も働くと、曜日の感覚が無くなるね・・・。

 で、フィットネス行って体を動かし、本屋へ行って本を大量に買い込み、家で冷房をかけたり止めたりしながら読書をしているのじゃ。

 で、今日買ってきた本を一部紹介すると、以下の通り。

・『保守思想のための39章』
 →中公文庫版です。柴山桂太さんの解説が新たに載っているのだ。

・『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』
 →かなりぶっとんでるけど、面白い。レビュー書くかもしれないし、書かないかもしれない。

・『消費社会の神話と構造』
 →ボードリヤールの著作です。経済学の視点から読めるのかな?

・『不平等の再検討』
 →アマルティア・センの著作ですね。

・『キクタン英会話【基礎編】』
 →英語をそろそろ勉強せねば・・・。受験時から、一貫して英語力が落ちてるので、中学レベルから復讐だな。

・『子音に慣れればクリアに聞こえる! 英語高速リスニング 会話変編』
 →リスニング教材。

・『ビブリア古書堂の事件手帳 3』
 →ナカノさんの漫画版ですね。

 さて、読んでいくぞ!

 人間、生きていく中で、他人を場合分けしています。

 これは、構造上における問題の話です。

 この問題を考える場合に、他人の評価を公表するという事象の考察が、ある程度のレベルでは鮮明化します。

 保守主義について考えるとき、西部邁さんの『日本の保守思想』を読んでいて、次のような言葉があったんですよね。

 

  さるインテリ人士から、酒席の上で、「君は教養がないねえ、君の知識は『全集』に頼っているにすぎんじゃないか」といわれたことがある。私に教養がないというのはまったく本当のことであるが、『全集』に頼る云々については異論がある。自分の気分なり脳漿なりに深く染み込んでくる人物の言説について公に何事かをいおうとするとき、その人物の作品群の全体像を観望し、そうすることによってその人の人物像を把握したいと私は思う。そうしてみるまではその人物について物をいう自信がもてない。それが私の流儀である。私の流儀が最善であるかどうか、そんなことは知らない。

 

 なるほどなぁと思うわけです。

 知識人として誠実だと思いますね。

 ただ、専門的な知識人でない場合、やはり全集を通して読むというのは現実的ではないと思います。

 他にも、この流儀を原理としてしまうと、「全集を読み通していないのに批判するな!」という戦略が可能になるんですね。これは、逆にまずいわけです。

 ですから西部さんは、自身にはこの流儀を用いて、一般的にはこの流儀が最善であるかは知らないと述べているのだと思います。この態度はさすがだと思いますね。

 で、私の考えなのですが、全集を読むまでは行かないでも、他人を非難する場合は、その人の言ったり書いたりしたものに基づくべきだとは思うわけです。

 特に、問題となっているテーマでの本が出ている場合は、その本のさわりくらいは読んで、どの部分がどのような理由でおかしいかを指摘しないと、安易に人を非難するのはいけないと思うんですよね。

 私は、「悪口はいけない」というような安易な道徳論には与しません。

 ただ、悪口を言うなら、その人が卑劣であったり愚劣であったりする理由の提示が必要だと思うわけです。

 根拠を示すことなく他人を非難する人って、私は関わりたくないですね。

 特に、微妙に言葉を濁しながら悪口を言って、言い逃れできるようにしている人とかですね。

 私は本ホームページ上で何度も言っていますが、私が間違っていることを指摘していただければ、その指摘にうなずけなければ反論しますし、その指摘にうなずければ謝罪して訂正します。

 議論は、何らかの正しさにたどり着くことに意義があると思うわけです。

 そのためには、議論の前に、最低限の礼儀作法があると思うのです。

 例えば、根拠なしに悪口を言わないとか、言葉を濁して言い逃れできるようにしないとか、その人が居るときと居ないときで態度を変えない、とかですね。

 作法に反する人に対しては、私なら無視するか、もしくは私に被害が及ぶ場合には議論でたたきつぶしますね。

 Access Counter 50000突破しました!

 やったね。

 『日本式論』を見てくださる方、どうもありがとうございます。

 三橋さんのブログの一日の半分以下の数値ですけどね(笑) ←自虐?

 まあ、あんな化け物ブログは気にしてはいけません(笑)

 本ホームページは、自分のペースを守って、じっくりとしっかりと進んで行きます。

 今後ともよろしくです。

 九州から帰ってきました。

 さすがに疲れました。

 今年は特に暑いみたいですが、その中でもかなり暑い三日間をエアコンなど当然存在しない工場で汗だくで働いてきたのだ。

 う~ん、我ながらえらいなぁ(笑)

 長期休暇に設備投資が進み、日本の産業を支えているのだ。

 しかし、10日はお盆の始まりだけあって、飛行機は満席だし、新幹線も一番早いのでも指定席など当然ながら埋まってるし。

 新大阪から福岡まで、2時間20分くらいか・・・?

 満員で立ちっぱなしはきつい。その後、真夏の工場で仕事もきつい。

 きついけれど、日本のサラリーマンは頑張るのです。

 『日本式論』っていうホームページで思想とか語っているけど、やることはやっているんですよ?

 九州から帰って来ました。今週は、マジできつかった・・・。

 で、明日も早くに九州へとんぼ返りです。

 大人になると、金より時間なんですな。

 例えば、大阪-九州間で言うと、超ざっくりですが、

 夜行バスなら1万円くらい。

 新幹線なら2万円くらい。

 飛行機なら3万円くらいなわけです。

 それで、新幹線ではなく飛行機にすると、1時間くらい節約できたりするわけです。

 約1万円で、1時間を買うのだ。

 今日は九州から大阪、明日は大阪から九州、そして、また九州から大阪に帰ってくるわけですが、そのために、移動費だけでもかなりの金額が発生するのじゃ。そうやって、世の中は廻って、お金も廻って、景気も回復するといいなぁ。

 そもそも、設備投資に補助金が出たりするから、お盆当たりがメチャクチャ忙しくなるのじゃ。

 九州でも佐世保なので、西日本を行ったり来たり。

 それで、北九州でインターハイとかやってるから、宿がまったくなかったりする。

 1万6千円のところに泊まっても、優雅さを味わう暇もない。

 まあ、今日はちょっとデートできたので、少し回復できましたけどね。

 明日から、九州の佐世保に出張です。

 現地で何かイベントがあるのか、佐世保近郊に宿がまったく空いていませんでした(泣)

 ハウステンボスの専用ホテルでも、一泊2万以上くらいしか空いていない・・・。

 しょうがないので、朝一時間かかるところで宿を借りました。出張先で、朝早くから通勤って、めんどくさい・・・。

 あと、今日、ひさしぶりに車に乗ろうとしたら、バッテリーがいかれていた・・・。

 保険会社呼んで対応してもらったけど、バッテリー交換費用に1万1千円かかった・・・。

 九州のときは、一週間に一回は乗っていたけど、大阪では車が必要ないからなぁ・・・。持っているだけでお金かかるし・・・。どうしたもんだろ。

 まあ、明日からしばらく出張なので、当分の間は更新できません。今度の土日には更新再開できると思いますが。

 それでは。

 『ECONOMICS雑考』に、アダム・スミス『道徳感情論』を追加しました。

 アダム・スミスの文章って、かなり冗長で読むのがきつい・・・。

 言っていることが合っている場合はまだ良いけどね・・・。

 今日は、何の因果か、T.M.Revolutionのライブに行ってきました。

 先週、東谷暁さんの勉強会をやった「中之島フェスティバルタワー」と同じ場所です。

 2週連続で、職場から近いここに来ることになるとは・・・。

 しかも、保守思想家の経済論と、ライブって、ジャンルが違いすぎるだろ・・・。

 3階席の一列目で、柵が低くてけっこう怖かったです。

 昨日はフィットネスでレッスンを受けて、全身が筋肉痛の状態なのに、めっちゃ手を振ったから色々ときつい・・・。

 となりの自分より5歳くらい年上のねーちゃん二人組が、柵に掴まって、頭をブルンブルン振ってトランスしていた・・・。正直、怖かった・・・。

 アンコールのとき、隣のねーちゃんがめっちゃ手を振って、それが私の頭に直撃した。帰るときには、「お疲れ様」と声を掛けられた。「お疲れ様」と返しておいたけど。

 西川貴教さんは、やっぱりトークが抜群にうまいですね。

 私の学生時代、大学受験の勉強中に、よく西川貴教のオールナイト日本を聞いていたのを思い出す。

 ちなみに、大阪都構想をディスってた。おもろい。

 ライブの内容は、何か中二病が全開な感じだった。

 フロイトの超自我論や、アウグスティヌスの時間論や、ハイデッガーの存在論や、シミュレーション仮説や、セカイ系やらを詰め込んだ感じだった。超ざっくり言うと、世界をシミュレーションして生きる意味を求める上位存在が、結局は自己をそのシミュレーションのサンプル化するシナリオだと言えばよいか・・・。その良く分からないシナリオを挟みつつ、歌が次々と入ってくるという感じですね。

 こういうことを考えながら見る客って、正直微妙だのう。

 まあ、たまには、こういう休日も楽しいかもですな。

 「諭吉が好き」って、二つの意味にとれるよね?

(1)福沢諭吉が好き。
(2)お金が好き。

 う~ん。えらい違いだなぁ。

 理系出身だと、そういった傾向もあるというレベルですが、文章の書き方などに特徴が出るかもしれませんね。
 理系の論文とかですと、だらだら書くのはダメで、要点をバシッとかくことが要求されるわけです。必要なことだけを、端的に簡潔に書かれているのが良い論文なんですな。
 それと比較して、文系の論文というよりは、新書などの場合を考えてみます。新書の場合は、だいたいページ数が決まっていますから、そのページ数を埋めることが要求されるわけです。そのため、各出版社から発行される本ごとのレベルは、まさにピンキリなわけです。非常に読み応えがあるものから、内容がスカスカなものから、嘘ばっかりなものまで、玉石混交なわけですよ。
 百ページくらいできれいに収まるものを、間に二百ページくらい話を差し込んで、三百ページで出版するとかですね。これは多分、採算という理由が大きいのだと思います。百ページの本を300円で売るより、三百ページにして800円とかで売らないと、流通とかなんとかを含めて、採算が合わないということなのでしょう。
 だとすると、そんな無駄なことは良くないという意見が頭に浮かびます。でも、その意見に素直にうなずけない面もあるわけです。
 一点目は、やっぱり採算は大事だということ。二点目は、その余分に追加した箇所にも価値があるのではないかということです。もちろん、追加した箇所がマイナスに作用する場合もありますけどね。
 必要な部分だけを書いた文章って、その分野について、ある程度以上の基礎知識が前提されていたりするわけです。そこで、説明に相当する文章を追加することによって、その分野に対する敷居を下げることができたりするのです。これは、大きな利点だと思うのです。また、間に冗長な文章を入れることは、読者に考える時間を与えたり、多角的な視点を提示したりして、上級者にとっても読みやすかったりする場合もあるのです。
 そういうわけで、ある程度の冗長性がある文章も、必要最小限にまとめられた文章と同様に、価値があると私は思うわけです。例えば本HPですと、『思想初心者の館』については、意図的に冗長な文章を入れて、分かりやすくしているつもりです。
 ですから、思想についても、論文形式で言いたいことだけバシッと提示する場合も必要ですし、小説などの形式で登場人物に会話をさせて提示する場合も必要だと思うのです。

 で、何が言いたいかというと、私は、冗長な文章を間にはさむのが割と苦手なのです。
 で、何が言いたいかというと、『名も無き歌』の思想的な要点については、頭の中にすでに出来ているのですが、執筆には時間がかかるのでごめんねってことです。つまり、今までの文章は、そういう言い訳を長々としていたのでした(笑)

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