ふとした切っ掛けで、お昼のワイドショーの雑音が聞こえてきた。
そこでは政治の選挙に関して、若者の投票率が低いことが話題になっていた。
それで、コメンテーターが、若者も投票へ行くべきだと言っていたわけです。
普通なら、それを聞いてその通りだと思うのでしょうが、私はひねくれているのか、素直に頷けませんでした。
まず、投票率が高いことが善いことだと思えないんですよね。
投票率が高いことが善いことだという思考の背景には、普段は語られることのない、一種の欺瞞が含まれていると思うのです。
例えば、数の多さがより善い意見に導かれるといった考え方などです。
この明らかに間違った考えが、意識的もしくは無意識的に前提になっている社会状況があると思うんですよね。
その構造を見抜いてしまうと、次のような考え方が出来てしまうのです。
つまり、投票率は低い方が良い。
何故か?
だって、投票率が低い方が、政治に関心がある人の意見が反映される割合が高くなるでしょう?
この意見に対しては、「だから政治への関心を高めなければならない」というような考え方が出て来ることが予想できます。
でもさあ、今のような選挙制度、つまり選挙が義務ではなく権利なのに、投票率が100%近くて、国民のほとんどが政治に強い関心があるって、それはそれで問題なんじゃないの?
そういった場合って、歴史的世界的に顧みて、世の中が大混乱しているときですよね。
そうなれば善いってわけでもないですよね。
なら、世の中が比較的安定していても、国民の皆さんが政治に強い関心を持っている状態が理想だということ?
それって、何か変だと思うわけですよ。なんか不気味な感じがするんですよね。
でも、投票率が低いことが善いことだ!とも言えないわけですね。
なぜなら、カルト的な政治団体が固定票を使って躍進してしまうからですね。
だとするなら、投票率が高い方が善いとか、低い方が善いとか、一概に言えないわけですよ。
さまざな要素が絡み合っているわけですから。
で、何が言いたいかと言うと、投票率が高い方が良いということに疑問を抱くことなく、絶対的な正義面してえらそうに解説しているコメンテーターって、それ自体がある種の悪なんじゃないかって思ったりしてみたわけです。
以上、単なる無駄話でした。
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