さらに永井均について少々

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 哲学者の永井均について、もう少し語ってみる。

 永井の凄さと恐ろしさは、現象を外側から把握しようとするその力強さです。

 物事の背後に(隠されて)ある構造を、緻密な論理的思考によって明らかにしていくところですね。

 

 『翔太と猫のインサイトの夏休み』より


 哲学にとっては、好き嫌いなんてどうでもいいものなのさ。

 たとえ自分の気に入らない考えでも、ほんとうに説得力のある論拠によって論駁されるまでは自分の考えとして持ち続けていられるかどうか、このことがその人がほんものの哲学者であるかどうかを決めるんだ。自分の気に入った考えしか自分のものとして持てない人は、思想は持つことはできても、哲学をすることはできないんだよ。

 

 この意見は一見単純ですが、ものすごく難しいことです。

 というより、このような議論における姿勢を持ち続けられる人というのは、ほとんど存在しません。それゆえ、このような姿勢を貫いているという点だけを見ても、永井は哲学者として極めて優秀なんですね。

 私は永井の思想に対する考え方は嫌いなんですが、哲学的成果は素晴らしいと思いますね。

 というか、永井哲学についてじっくりと考えて、批判的に検討してみたいんですよね。

 あと、永井の哲学的射程から、永井がどのように行動するのかの予測が極めて困難なところも、怖いですね。

 例えば、海で遭難し、自分を含めた何人かで小型ボートで漂っている場合を想定してみます。そのとき、舟の浮力が足りなくなって、誰か一人が舟から降りて犠牲になれば他の人が助かるような場合で考えてみます。

 保守主義者の一部なら、自ら犠牲になる人もいるでしょう。

 九条大好きの似非平和主義者なら、自分以外が名乗り出るのを待っていることでしょう。

 で、永井の場合は、英雄的に自分が犠牲になるかもしれませんし、自分以外を突き落として自分だけが助かるかもしれません。その選択肢の幅がかなり広くて、しかも選択の傾向性がつかめないんですよね。

 そのため、天文学的な確率ですが、危機的状況において私と永井が同じ空間にいるような場合、私は永井を敵として警戒せざるを得ないのですよね。

 警戒すべき敵として判断する、そのレベルにおいて、永井という哲学者は非情に危険で魅力的に感じるのですよね。

 

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