文章について

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 理系出身だと、そういった傾向もあるというレベルですが、文章の書き方などに特徴が出るかもしれませんね。
 理系の論文とかですと、だらだら書くのはダメで、要点をバシッとかくことが要求されるわけです。必要なことだけを、端的に簡潔に書かれているのが良い論文なんですな。
 それと比較して、文系の論文というよりは、新書などの場合を考えてみます。新書の場合は、だいたいページ数が決まっていますから、そのページ数を埋めることが要求されるわけです。そのため、各出版社から発行される本ごとのレベルは、まさにピンキリなわけです。非常に読み応えがあるものから、内容がスカスカなものから、嘘ばっかりなものまで、玉石混交なわけですよ。
 百ページくらいできれいに収まるものを、間に二百ページくらい話を差し込んで、三百ページで出版するとかですね。これは多分、採算という理由が大きいのだと思います。百ページの本を300円で売るより、三百ページにして800円とかで売らないと、流通とかなんとかを含めて、採算が合わないということなのでしょう。
 だとすると、そんな無駄なことは良くないという意見が頭に浮かびます。でも、その意見に素直にうなずけない面もあるわけです。
 一点目は、やっぱり採算は大事だということ。二点目は、その余分に追加した箇所にも価値があるのではないかということです。もちろん、追加した箇所がマイナスに作用する場合もありますけどね。
 必要な部分だけを書いた文章って、その分野について、ある程度以上の基礎知識が前提されていたりするわけです。そこで、説明に相当する文章を追加することによって、その分野に対する敷居を下げることができたりするのです。これは、大きな利点だと思うのです。また、間に冗長な文章を入れることは、読者に考える時間を与えたり、多角的な視点を提示したりして、上級者にとっても読みやすかったりする場合もあるのです。
 そういうわけで、ある程度の冗長性がある文章も、必要最小限にまとめられた文章と同様に、価値があると私は思うわけです。例えば本HPですと、『思想初心者の館』については、意図的に冗長な文章を入れて、分かりやすくしているつもりです。
 ですから、思想についても、論文形式で言いたいことだけバシッと提示する場合も必要ですし、小説などの形式で登場人物に会話をさせて提示する場合も必要だと思うのです。

 で、何が言いたいかというと、私は、冗長な文章を間にはさむのが割と苦手なのです。
 で、何が言いたいかというと、『名も無き歌』の思想的な要点については、頭の中にすでに出来ているのですが、執筆には時間がかかるのでごめんねってことです。つまり、今までの文章は、そういう言い訳を長々としていたのでした(笑)

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