本ホームページ『日本式論』は、政治的な目的はほとんどありません。つまり、現代日本で多数派工作をして、世論を作り出すといったようなことは考えていません。
それよりも、自身の考えを学問的に厳密に練っていきたいという欲求が強いですね。
もちろん私も大人ですから、何事も厳密性を追及することが弊害を生むことは理解しています。妥協すべきことがあるのも理解していますし、日常生活ではそこらへんは使い分けています。私は思想や哲学とは違った分野で、日々の糧を得て生活しているわけですし。
つまり、きちんと生活する資金を確保した上で、自分が本当にやりたいことを妥協せずにやっているというだけの話です。
で、自分の考えを深めるためには、他者の意見を参考にすることが有効な方法です。そのため私は、出版されている本を読んで、そこで示されている意見に賛成したり反対したりしているわけです。
そのときに批判する本というのは、実は、批判する価値がある本なのですよね。世の中にはたくさんの本がありますし、それらの意見は千差万別です。ですから、自分の意見を深めるために、批判するに値する本を選定するという作業が必要になるわけです。
具体的には、次のようなことですね。
・ 用語が一般的な定義に基づいて使用されており、かつ、必要に応じて言葉の定義が示されている。
・ 単なる感情の羅列ではなく、論理的に文章が構成されている。
・ 著者の意見が、反証可能性を有している形で示されている。
最低限、上記の条件がないと批判しようとも思いませんからね。
ただし、上記の条件に合わない場合でも、特殊な場合は批判に乗り出さざるを得ませんけどね。例えば、他人の名誉に関わるときとかですね。そういったときは、不毛な結果にしかならないので正直やる気も出ないのですがね。
で、何が言いたいかというと、『日本式論』に示されている論理に対し、納得できない場合は遠慮なく(コメントなりメールなりで)言ってくださいということです。
ただしその場合は、上記の条件に合うように反論してほしいわけです。そうしないと、議論が成立しないからです。
例えば、私の意見に同意していただける場合、当然ながら私は嬉しいわけですが、議論としては続きませんよね。同意します。ありがとうございます。で、終わってしまいますからね。それでも十分と言えば十分だと思いますけど。
また、明確な理由はないけど、『日本式論』で示されている意見は気に食わないという人もいるでしょう。そういった人は、『日本式論』を見なければ良いだけだと思います。人生の時間は有限なのですから、もっと有意義なことに時間を使うべきだと思います。あと、私の意見に対し私の知らない場所で否定的なことを言う人もいるようですが、単純に時間の無駄だと思います。『日本式論』なんて見る価値ないよって、他の人に言うのは全然OKだと思いますけどね。
また、管理人モトの意見について、ここまでは分かるけど、ここからは理解できないとか、ここからは反対の立場だとか言ってくれる方は大歓迎です。こういった場合、私の方からも意見を出して、議論が進んで、何らかの意味での正しさに近づく可能性が生まれるからです。そのためには、相手側の人に、議論の条件を守っていただく必要があるわけです。
などなど、ちょっと議論について考えてみました。
最近は、メールなどで意見をくれる方も増えているので、建設的な議論を展開するために、ちょっとだけ私の見解を述べてみたまでです。実際、メールなどを通じて、有益な情報をいただいたり、建設的な議論ができてきたりしているので、今後ともその流れを作っていきたいなと思っているわけです。
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