映画「R100」見てみました。

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 人志監督作品第4弾の「R100」を見てみました。

 いや~、これは、微妙ですねぇ・・・。

 微妙というか、これはどうしたらいいのかなぁ・・・。

 ここはアレだな。無理やり政治的にそれっぽく述べてみるという、

 かなり微妙な方法があるな。

 某ナントカさんみたいに(笑)


 

 究極の女王様は確実にアメリカを象徴しており、

 そのSとMの関係は、戦後日本のアメリカ依存を示唆的に表しており、

 その従属関係化において、

 特に最後の手榴弾が相手にきかないところなど、

 相手との戦力差を暗示していると言って差し支えないでしょう。

 つまり、ここでは日本の敗戦によるトラウマが根底にあり、

 その屈服した感情が、SMにおける受け身として語られているのです。

 日本が敗戦したという事実を受け止められない感情が、

 この作品のように屈折した関係性を描くことによって、

 それを分析することによって、

 戦後の病理が炙り出されてくるというわけです。

 特に、最後の子供との写真はそれをはっきりと示しているわけです。

 強姦を強姦とも認めず、それを新たな祝福とみなすという、

 屈服しているのにそれを認めずに、むしろ誇るべきものだとみなすという、

 そういった卑屈な感情があの笑顔の写真撮影に端的に表れているわけです。

 そのような見れば、

 この「R100」というタイトルの真の意味も分かるというものでしょう。

 すなわち、100歳未満には解からないというのは、

 あきらかに戦後百年たたないと、

 戦後日本のアメリカ従属の屈折した感情を適切に処理できないということであり、

 その戦後日本の卑劣な感情があぶりだされることが、

 この映画が映画監督の作品という「作中作」という構成を取っていることからも、

 明らかだと言えるのです。

 ここから、戦後日本の病理をあぶり出し、なんたらかんたら・・・。




 いや~、自分で書いていながら、

 まったく意味不明ですな。

 こんなの、どんな風にでも書けちゃいますからね。



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