卑劣な者と戦うときは、
卑劣な者の行為を公衆へ晒(さら)すことが有効な方法の一つになります。
卑劣な者は、卑劣な方法を使ってきます。
表だっては動かず、陰でこそこそ行動することがあるということです。
くだらない例で言えば、
Facebookのコメントを使わずにメッセージを使ったり、
ブログのコメントを利用せずにメールを使ってきたりですね。
つまり、公開されているコメントではなく、
個人間のやり取りを使うということです。
なぜそのような方法を卑劣な者が使うかと言うと、
公開すると恥ずかしいような内容で相手を攻撃するためなのですね。
これは、個人間のやり取りを公表することが、
一見して不道徳に感じられるという傾向を卑劣な者が利用しているわけです。
確かに、個人間のやり取りを公表することが、
不道徳になる場合もあります。
例えば、私がラブレターをもらったとき、
「誰だよ、俺にラブレターとか書いたやつは?」
などと大声で周りに公表するなら、
私はクズ人間になります。
しかし、私が呪いの手紙をもらったときは、
「誰だよ、呪いの手紙なんてふざけたことしているやつは?」
と言うことは公的に認められますし、正しい行動になるでしょう。
つまり、個人間のやり取りを公表しても善いか悪いかは、
その内容次第なのです。
ここ、重要なポイントですよ。
続く...。
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