ASREADに、【秀逸な『永遠の0』論のご紹介】が掲載されました。
「永遠の今と永遠の無」の章のところの記述が抜けています。
正しくは、以下の引用が入ります。
西田幾多郎『永遠の今の自己限定』より
真に永遠の今というべきものはプラトンの考えた如き永遠不変の意味ではなくして、その各(おのおの)の点に於て無限の過去無限の未来を消すことのでき、それに於て何処でも何時でも時が始まると考えることのできる絶対無の自覚という如きものでなければならない。
良心の声に従うというのは単に理性的となることではなく純なる情意の要求に従うことでなければならない、唯、考えられた自己を棄てることである、私欲を離れることである、無にして自己自身を限定するものとなることである、永遠の今の自己限定の内容は広義に於て良心の声として現れるのである。
西田幾多郎『場所的論理と宗教的世界観』より
死とは、自己が永遠の無に入ることである。
修正依頼はかけているので、そのうち追記が入るとは思いますが。
ここらへんの論文は、『西田幾多郎キーワード論集 (エッセンシャル・ニシダ)』などがよくまとまってい記載されていますね。
私も週末に読了しました。善の研究は途中で留まって了っているのですが、この本はいい指南書になりそうです。
西田哲学についても、色々と考えています。
そうしたら、誰も分からない世界に旅立ってしまったので、とりあえず『永遠の0』のところだけ抜き出して記事にしてみました。