続・思想上の立場について

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 その人がどのような思想を選ぶかということは、その人が何を問題としているかによるところが大きいのだと思います。

 一体、何がその人にとって大問題なのか?

 もっと言うと、私は何について気になって仕方がないのかということですね。

 その問題意識が、その人を思想や哲学と呼ばれる、基本にして窮極の領域へといざなうのです。

 例えば、保守思想ってありますよね。保守思想については、『保守主義への挑戦状』を書きましたが、当然ながら、公開しても良いと私が思うことしか書いていないわけです。つまり、ここには書かれていないことも多々あるわけです。

 私は、保守主義に関係する本は日本のものも西洋のものも結構読んでまして、そこからは多くを学ばせていただいたわけです。それでも、私は非・保守主義者なわけです。

 なぜかと言うと、私の問題とすることについて、保守思想では太刀打ちできなかったからですね。私は私の問題と対決するために、保守思想ではなく、日本思想を必要としたのです。

 ここには、重要なポイントがあると思われるのです。

 あなたの問題意識が、保守思想によって解決できるなら、保守主義者になれば良いわけです。あなたは、あなたの問題意識に合った思想を参照すれば良いと思うのです。少なくとも、私はそう思うのです。

 で、私の問題意識はぶっ飛んでいるので、おかしな方向へ走りだしているわけですな。

 問題意識って、共有できる人と共有できない人がいるのですよね。ある人にとっては、それが切実な問題なのに、他の人にとっては、心底どうでもよい問題だったりするのですよね。

 歴史を振り返ると、思想や哲学上の天才って、独自の問題意識をもって、それの回答を追い求めた人が多いのですよね。

 それを見て、すげ~と思う反面、そこに横たわっている孤独の深さを感じてしまうのです。

 そこには、底の見えない深淵が立ちふさがっているように思えるのです。

 

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