東京大教授の宇野重規氏が、最近の保守論について書評を書いています。
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20131105-OYT8T00818.htm
ざっと読んでみて思うことは、各自がバラバラなことを言っているなぁという感想です。
例えば、一方は新自由主義を批判し、他方はリベラルと保守を結び付けるといった感じなわけです。まとめるなら、〈新自由主義、原発、橋下政治、さらに排外主義への批判〉を行えば保守主義者になれるわけですな。
なんか、めちゃくちゃな気がしますね。
そもそも、各論者の間で整合性が取れていないし、それどころか矛盾した論点もあるでしょうしね。特に、「自由」とか「原発問題」などですな。
まあ、各論者の観点については、個別に検討するしかないと思います。その上で、各自が誰の意見がまともなのかを判断すれば良いだけです。
しかし、それとは別に、ここで注意しておくべき観点があります。
それは、「何が正しいのか」ではなく、「何か保守なのか」が問われているという事態です。この事態が意味することは、「保守」が「正しさの権威」だという前提条件が成り立っているということです。少なくとも、何が保守なのかを問う者にとっては、その前提条件が共有されているはずです。
ここで重要なポイントは、「保守」という思想が、「正しさ」を保証するのかという疑問です。もちろん、ある程度は保証するでしょう。そして、その「ある程度」とは、どの程度なのでしょうか?
私が問うべき点は、まさしくそこになるのです。その程度によって、保守であるか否かの重要性は左右されるからです。
そして、私の中では、ある程度の結論は出ているわけですな。
『保守主義への挑戦状』を参照してみるのも面白いかもです。
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