東雲さんからのメール(2)

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 前回の東雲さんのメールを受けて、簡単ですが返信させていただきました。


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(略)

私の見解が、東雲様にとって何かしらのお役に立てたのでしたら幸いです。
以下、いただいたメールについて返答させていただきます。

> 体系的に、専門書を読み知識を得たわけではありませんが、

私も素人です(笑)
こういった問題は、専門とかはあまり関係ないように思えます。
気になった人が、手探りで何とか戦うしかないテーマだと思います。

> 導き出した結論も、究極的には私にしか当てはまらないものなんだろう、と感じています。

その結論に納得できるかですもんね。
納得できるかどうかは、究極的にその人によりますし。

> 一番心引かれ、性質が近いと感じていたのは彼でした。

私も中学時代に「仙水忍」の思想に触れたので、かなりのトラウマでしたね。
すでにご存じかもしれませんが、この問題については、次に2作品などが参考になります。

(1)ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
 具体的には、[第5編 第三 兄弟の接近]から[第5編 第四 叛逆]にかけて。
(2)アーシュラ・K・ル・グィン『風の十二方位』の中の「オメラスから歩み去る人々」

興味があれば是非。


> あの頃は、そういったお話を出来る方が周囲にほぼおらず、
> そういった方の空気に触れたい、と感じていたことも大いにありました。

こういった話は、出来る人は限られていると思います。
というか、ほぼ居ないですよね(苦笑)

> 仙水忍から掘り進め、自分なりに得た結論は、ある小説の台詞から拝借して
> 「絶対的多数を基準に、そこから大きく乖離した存在を狂人とするならば」
> でした。

なるほど。ありえる解答の一つだと思います。
何らかの回答にたどり着いたということに敬意を表しまして、
私の結論の一部をお教えします。

「我=世界 という考えから、 汝=世界 となるため、 我≠世界 となる」

かなり単純化していますが...。
ちなみに、人類史上の知識から、本居宣長と西田幾多郎という二人の思想が助けとなっています。
このテーマで書いていることは、詳細に論じると分量的には本一冊分くらいになっています。

> ちなみに、今でも『謳われぬ詩』を拝見したいという思いは変わりません。

ありがとうございます。
私としては、すでに原稿は完成しているので、あとは機会があればどこかで...といった感じです。
すでに公開している他の原稿と違い、私的性格が強いものなので、安易に公開したくないのもありますし。


現在は、他のテーマで色々と執筆していたりするのですが、
発表場所もないので未発表の原稿が溜まっている感じです。
一息ついたら、本サイトなり、他の発表媒体を探すなり、何かしたいと思っています。

それでは、また機会がありましたら連絡いただけると嬉しいです。

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 こういったテーマに興味がある方は、おそらく非常に少ないでしょう。

 それでも、こういったサイトをやっていると、興味のあるところが近い方を知ることができたりします。

 それは、やはり良いことだと思われます。



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