さて、こんなサイトを運営していると、たまに興味深いメールをいただくことがあります。
ありがたいことですね。
今回は良い機会なので、東雲(しののめ)さんという方からのメールをご紹介いたします。
分かりやすいように、一部省略してご紹介させていただきます。
本サイトの以下の論稿などが基になっています。
『幽☆遊☆白書(冨樫義博)』―人間が人間を滅ぼすこと―
『謳われぬ詩』
************************************************************************************
東雲(しののめ)と申します。
今より恐らく二年ほど前、『幽遊白書』の仙水編から派生して書かれた
『謳われぬ詩』について興味があると告げ、
モトさんなりの結論をお聞かせ願いたい、とメールを差し上げた者です。
(略)
当時、心理学の方面で歩を進めていけば、ある一定の答えが出る、と
アドバイス頂いたことを覚えております。
体系的に、専門書を読み知識を得たわけではありませんが、
それでも趣味として学習を続けていくうち、私も自分なりの結論に辿り着くことが出来ました。
その点に置いて、遅くはなってしまいましたが、お礼を申し上げたかったのです。
やはり、モトさんが
「仙水の"人間は守るべき価値があるのかという"問いを、
問いとして受け取ってしまったなら、その個人が各々の答えを紡ぐしかない」
と仰っていた通り、
彼の思いを一つの「問い」として受け取ってしまった自分は、
同じく世界というものに疑問を抱いており、
しかしその抱き方は人それぞれで、
導き出した結論も、究極的には私にしか当てはまらないものなんだろう、と感じています。
以下、独白のようなものになります。読み流していただければ。
あの当時は、20と少しという年齢もあり、
自分の人生というものに疑問を抱き、自身が何者であるかを知りたくて、
世界の見方が似ている気がする、と感じた
「仙水忍」という人間に限りない興味を抱いていました。
星新一やフランツ・カフカなど、厭世的な気配を感じる人々にも
同様に惹かれてはいたのですが、当時の自分の知る範囲で
一番心引かれ、性質が近いと感じていたのは彼でした。
そのため、彼に関することをインターネット上で調べ、
けれども、彼の言動の矛盾を突く論や、
仙水忍という男が好きか否か、
あるいは彼の行動に賛成か否か、
そういった、主観的な観点からの意見や論争はあれども、
モトさんの仰るよう、中立の視点に立ち、
かつ自己の考えを端的に述べられている方の意見はお見受けすることが出来ませんでした。
こちらも、専門的に学んだわけではなく、人物名や思想名には疎いのですが
それでも、自分の根底には哲学の視線がある、と感じ始めていた当時、
同じく、哲学的な目線で、物事を客観的に、しかし人間的な情を持って分析される
モトさんの文章に大いに感銘を受け、この方の導き出した結論ならば
ぜひ参考にしてみたい、と感じたのが、当時メールを差し上げた経緯でした。
あの頃は、そういったお話を出来る方が周囲にほぼおらず、
そういった方の空気に触れたい、と感じていたことも大いにありました。
なので、モトさんからお返事を頂いたこと、
また、仙水忍について分析を進め、自分なりに結論を得たことは
確かに今後の人生の指針となり、当時の自分の大いなる支えになりました、とだけ。
仙水忍から掘り進め、自分なりに得た結論は、ある小説の台詞から拝借して
「絶対的多数を基準に、そこから大きく乖離した存在を狂人とするならば」
でした。
ちなみに、今でも『謳われぬ詩』を拝見したいという思いは変わりません。
お伝えしたかったことは以上になります。
ここまでお読み下さって、ありがとうございました。
風の冷たい日が多くなって参りましたので、どうぞご自愛下さい。
それでは、乱文失礼致しました。
************************************************************************************
続きます。
ありがたいことですね。
今回は良い機会なので、東雲(しののめ)さんという方からのメールをご紹介いたします。
分かりやすいように、一部省略してご紹介させていただきます。
本サイトの以下の論稿などが基になっています。
『幽☆遊☆白書(冨樫義博)』―人間が人間を滅ぼすこと―
『謳われぬ詩』
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東雲(しののめ)と申します。
今より恐らく二年ほど前、『幽遊白書』の仙水編から派生して書かれた
『謳われぬ詩』について興味があると告げ、
モトさんなりの結論をお聞かせ願いたい、とメールを差し上げた者です。
(略)
当時、心理学の方面で歩を進めていけば、ある一定の答えが出る、と
アドバイス頂いたことを覚えております。
体系的に、専門書を読み知識を得たわけではありませんが、
それでも趣味として学習を続けていくうち、私も自分なりの結論に辿り着くことが出来ました。
その点に置いて、遅くはなってしまいましたが、お礼を申し上げたかったのです。
やはり、モトさんが
「仙水の"人間は守るべき価値があるのかという"問いを、
問いとして受け取ってしまったなら、その個人が各々の答えを紡ぐしかない」
と仰っていた通り、
彼の思いを一つの「問い」として受け取ってしまった自分は、
同じく世界というものに疑問を抱いており、
しかしその抱き方は人それぞれで、
導き出した結論も、究極的には私にしか当てはまらないものなんだろう、と感じています。
以下、独白のようなものになります。読み流していただければ。
あの当時は、20と少しという年齢もあり、
自分の人生というものに疑問を抱き、自身が何者であるかを知りたくて、
世界の見方が似ている気がする、と感じた
「仙水忍」という人間に限りない興味を抱いていました。
星新一やフランツ・カフカなど、厭世的な気配を感じる人々にも
同様に惹かれてはいたのですが、当時の自分の知る範囲で
一番心引かれ、性質が近いと感じていたのは彼でした。
そのため、彼に関することをインターネット上で調べ、
けれども、彼の言動の矛盾を突く論や、
仙水忍という男が好きか否か、
あるいは彼の行動に賛成か否か、
そういった、主観的な観点からの意見や論争はあれども、
モトさんの仰るよう、中立の視点に立ち、
かつ自己の考えを端的に述べられている方の意見はお見受けすることが出来ませんでした。
こちらも、専門的に学んだわけではなく、人物名や思想名には疎いのですが
それでも、自分の根底には哲学の視線がある、と感じ始めていた当時、
同じく、哲学的な目線で、物事を客観的に、しかし人間的な情を持って分析される
モトさんの文章に大いに感銘を受け、この方の導き出した結論ならば
ぜひ参考にしてみたい、と感じたのが、当時メールを差し上げた経緯でした。
あの頃は、そういったお話を出来る方が周囲にほぼおらず、
そういった方の空気に触れたい、と感じていたことも大いにありました。
なので、モトさんからお返事を頂いたこと、
また、仙水忍について分析を進め、自分なりに結論を得たことは
確かに今後の人生の指針となり、当時の自分の大いなる支えになりました、とだけ。
仙水忍から掘り進め、自分なりに得た結論は、ある小説の台詞から拝借して
「絶対的多数を基準に、そこから大きく乖離した存在を狂人とするならば」
でした。
ちなみに、今でも『謳われぬ詩』を拝見したいという思いは変わりません。
お伝えしたかったことは以上になります。
ここまでお読み下さって、ありがとうございました。
風の冷たい日が多くなって参りましたので、どうぞご自愛下さい。
それでは、乱文失礼致しました。
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続きます。
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