貨幣は内生説で説明しきれるか(3)

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 貨幣について、↓の続きです。

http://nihonshiki.sakura.ne.jp/nikki/2013/09/post-532.html

http://nihonshiki.sakura.ne.jp/nikki/2013/09/post-533.html

 

 さて、今回は、ストラクチャリズムを基に考えてみます。

 ストラクチャリズムにおいては、「中央銀行は準備供給に対してある程度の量的制約を課すことが可能」であることが認識されています。外生説は、「中央銀行がマネー・サプライを決定することができる」ことですから、準備供給の操作によってマネー・サプライを操作できるかが焦点になります。

 マネーサプライを「現金を含めた総現預金量」だとして考えます。そうすると、マネーサプライは、ハイパワードマネーと貨幣乗数のかけ算で表現できます。ハイパワードマネー(あるいはベースマネー)とは、中央銀行が発行しているお金のことです。貨幣乗数には、「通貨・預金比率」と「預金準備率」が関わってきます。「預金準備率」には、「預金量」と「準備預金」が関わってきますから、銀行が準備預金を供給すれば、貨幣乗数の値を変更することができます。少なくとも、机上の論理では。

 ここで問題としているのは、不確実性が増大するとか、効果が薄いとかいう以前の話です。原理および効果における話であり、有用性の話に踏み込む前の話だということです。
 すなわち、原理的にありえるのかありえないのか、という話と、原理的にありえるなら効果は0なのか0ではないのか、という話です。有用性の観点から優れているとか愚かだとかいう話の段階には進んでいないのです。

 ホリゾンタリズムではなくストラクチャリズムのこういった考え方まで来てしまえば、貨幣供給が内生か、あるいは外生かなどという切り分けは、重要な論点ではなくなってしまうような気がするわけです。もちろん、それでも信用貨幣的な枠組みにおいては、基本的には信用貨幣は内生的に供給されており、その重要な特徴であると主張することは可能かもしれません。ただし、そのような主張をあえて続ける場合、その主張によって何が意図されているのかの説明が必要になるような気がしますが。

 ちなみに、ここで頭に浮かぶのは、石原慎太郎の新銀行東京の件です。政策的に失敗だとか、独占禁止法などの法律問題がどうこうというのは、とりあえず無視して考えてみます。問題は、この銀行による貸し出し拡大は、内生説だけで原理・効果・有用性を含めて論じきれるのかという問題です。有用性については何とかなりそうな気もしますが・・・。

 

 さて、以上の考えは、まだ明確に固まっていないままでざっくりと提示しただけです。議論のどこかに間違いなどがある場合は指摘をお願いします。

 

コメント(1)

<マネーサプライは、ハイパワードマネーと貨幣乗数のかけ算で表現できます> 

MS=MB×貨幣乗数とすると、左辺から右辺への因果関係を見出してしまうのが外生論ですね。現日銀も同じような考えでいる部分はあります。あくまで事後的なものだと思いますね。

<ストラクチャリズムのこういった考え方まで来てしまえば、貨幣供給が内生か、あるいは外生かなどという切り分けは、重要な論点ではなくなってしまうような気がする>

というのは仰る通りでして、例えば内藤敦之著『内生的貨幣供給理論の再構築』には、「貨幣供給が内生か、あるいは外生か必ずしも、最も重要な論点ではない」という記述が見られたりもします。


その上で、内生説的な主張をするというのは、内生説が主流派理論への有効な反論になるからだと思われます。

例えば、反財政政策の論拠として頻繁に用いられる、「クラウディング・アウト論」や「マンデルフレミングモデル」などは、内生説の論理をもってすれば成り立たなくなります。

またより現実に近い姿を描写していますので、この理論を精緻化していけば、望ましい金融規制などの提案をしうるかと思います。

蛇足ですが、日本でも内生論と外生論の論争がありまた。岩田ー翁論争(マネーサプライ論争)というものです。ご参考までに。

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