『続・近代の超克』に、第三章 諸井三郎『吾々の立場から』の検討を追加した。
大東亜戦争時、「近代の超克」という営みがかつてありました。
戦後その営みに対し、戦後の知識人はろくな評価をしてこなかったのではないでしょうか?
「近代の超克」に対し、否定的な評価を下す論者の論理の方が、ありありと愚劣でしかないのです。
なぜ、「近代の超克」の問題意識を引き継いで論じることがおざなりにされてきたのでしょうか?
しょうがないので、私が勝手に論じることにしました。
勝手な一個人による、勝手な引き継ぎ作業、ここに開陳。
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