小浜氏の「倫理の起源53」について、(1)・(2)・(3)・(4)・(5)の続きです。
小浜氏よりコメントをいただきました。
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今回の木下さんの見事な整理を読ませていただき、私もこの議論の噛み合い具合をよく確認することができました。また、意見の相違点は今後の課題としてもよいし、あるいは現時点で読者の方の判定にまかせるということでもよいと思います。いずれにしても、一致できる点が少なからず見出せたことをとてもうれしく思います。年のせいか他人との議論に対してかなり悲観的になっていたので、今回の試みによって希望が回復してきました。心から感謝します。
木下さんが議論を深めてくれた点で、なるほどと思えたのは、秩序状態と緊急事態とを区分し、前者の場合にこそ、後者の状態のための備えが必要であると力説している点です。両者がトレードオフの関係にあるのではなく、補完関係として考えるという論点にも完全に同意します。
ことに感心したのは、実際の「愛国心教育」なるものが具体的にどのようなかたちを取ればよいのかについて、(I)で、具体的な提案をなさっている部分です。こういうふうに論点をブレイクダウンしないと、お互いが「愛国心」という概念に何を込めているのかが明らかでないまま、「必要だ、必要でない」の抽象的な議論がいつまでも繰り返されるばかりですよね。
ところでこの提案の内容なら私はまったく賛成です。特に、「日本語能力の育成」というところと、「道徳そのものではなく、道徳の系譜学」というところがいい。これらについては、私のほうからもその必要をぜひ訴えたいくらいです。もっともこれをきちんとできる教師があまりいそうもないので、その育成の課題が先立つでしょうけどね(笑)。
なおまたつけ加えるなら、(M)の指摘とも絡みますが、年少者にまともな社会人感覚(自立心と実践力と法感覚)を身につけさせる教育も必要かと思います。
これからも折に触れて、有益な議論をいたしましょう。
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有益な議論が展開でき、たいへん嬉しく思います。
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