『ことばの闘い』「倫理の起源58」についての議論(5)

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 (1)(2)(3)(4)の続きです。

 小林よしのり氏の『戦争論』の見解を含め、「倫理の起源58」のコメント欄に私の意見を書いています。


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小浜さん。丁寧な回答ありがとうございます。

小林よしのり氏の『戦争論』については、小浜さんの〈あたかもすべての特攻隊員が〉や、〈銃後の人たちがみな〉という記述から、存在命題か全称命題かの問題だと判断できます。
つまり、小林氏が存在命題を全称命題として描いているのなら、小浜さんの言うように美化していると言えることになります。
『戦争論』(手元になかったので第58刷を購入)の17章と21章を読んでみましたが、文章(漫画ですのでセリフ箇所を含む)からは、残念ですが全称命題だと判断できませんでした。漫画の絵のイメージから、小浜さんが全称命題として描いていると判断されたということでしたら、(絵の解釈問題になりますので)残念ながら私はその見解には与しません。
ちなみに、他作品との深みの優劣に関しては、美化しているか否かの判定とは関係ありませんので割愛させていただきます。

特攻隊員の人物像(A)~(D)については、私の見解では(A)=(C)になります。
小浜さんは、〈特定の個人の心理を細かく分析していますが、(中略)あまりそのことを細かく詮索しても生産的でない〉とおっしゃっていますが、もともと「倫理の起源58」が特定の個人の心理から、特攻のイメージについて論じているではないですか。
私は、(B)タイプも居たであろうことに同意します。〈軍上層部の作戦の無謀さ〉や〈あまりの人命軽視〉について批判的に検討する必要性があることにも同意します。
私が嫌なのは、「死人に口なし」ということを良いことに、(A)タイプ[(C)タイプでも良いです]と思われる人物を、明確な根拠もなく勝手に(B)タイプにしてしまうことに対してです。
仮に小林氏が「美化」していたのだとしても、その批判のために「醜化」する人とは共闘できないということです。

その点に関しては、〈公のために死のうとか、そんなことは全然ない〉と言っている林氏はともかく、小浜さんは「この特攻隊員」を(C)タイプと考え、〈そこそこ、あるいは人並み以上の公共心〉があると見なしているのですから、私の認識とそれほど相違がないことが分かりました。

仲間意識につきましては、私も後者(不良少年の仲間意識)の可能性はあまりないと考えています。ここで私が言いたかったことは、公のない〈軍人としての共通の職業意識〉は成り立ち難いのではないかということです。ですから逆に、〈そこそこ、あるいは人並み以上の公共心〉を持つ者たちの〈軍人としての共通の職業意識〉なら十分に理解できることになります。

以上、私の煩雑な議論にお付き合いいただき、まことにありがとうございました。

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 美化しているという非難については、どのように美化しているのかという定義をはっきりさせないと議論ができません。後は、その定義に適っているかどうかという話です。それが文章でしたら、判断しやすいのですが、絵のイメージだと判断が難しくなります。その絵の解釈が、一般的な解釈でそうだと見なされると言えるなら、絵についての論評も可能でしょう。しかし、その解釈が恣意的なものなら、私は論拠にはならないと判断します。

 また、存在命題とか全称命題とかは、論理学の用語になります。普通の人には難しいかもしれませんが、哲学をやっている人なら通じる用語なので、厳密に論じるためにこれらの用語を用いて論じています。分からない人は、ググってください。



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