今日は、お仕事で飲みでした。
さすがに、月曜からはきつい。
仕事なので、飲むのも必要だとは思いますが限度もありますね。
ゆっくりしたくもある。
酔って、考えがまとまらないので、今日は特にないです。
今日は、お仕事で飲みでした。
さすがに、月曜からはきつい。
仕事なので、飲むのも必要だとは思いますが限度もありますね。
ゆっくりしたくもある。
酔って、考えがまとまらないので、今日は特にないです。
今日は、友達と遊んで飲んで語らっていました。
政治とか経済とかではなく、けっこう不真面目な話とかを話すのも楽しい。
どんな女性が好みなのかという下世話な話とかもしたなぁ・・・。
とりあえず、ざっと思いついたところは以下のとおり。
(1)年下の女性。
(2)難しい本を読んだり、それについて論じたことを理解してとは言わないけど、
そういった趣味を許してくれるような女性。
(3)生活能力のある女性。
などを話したりしていたのです。友達の女性の好みの方は、内緒です。
まあ、男仲間で飲んだりすると、こういった話題になったりするよね。
しかしですね。気が付いてしまったのです。
最近は、「早く結婚した方がいいんじゃないか?」という発言すら許されないご時世なのです。
女性の好みなど安易に公開したら、世の中からリンチされてしまうかもしれません。
恐ろしいですね。
ですので、もっと慎重に考えてみましょう。
まず、(1)から。年下に限定した時点で、人権派やフェミニストからの非難を免れえません。下手をすると、ロリコンのレッテルを張られてしまうかもしれません。
次に(2)です。現代社会において、趣味に生きることなど許されないのです。休みの日は、家族サービスに努めなければなりません。年収換算で一千万円超の過酷業務である家事は、休みの日はサラリーマンパパの仕事と言っておかないと、世のフェミニストからフルボッコされてしまいます。休みの日は、ひたすら家事をし、子供の遊び相手をし、妻の希望する行楽地へと連れていかなければなりません。個人的な趣味など、消滅するのです。
最後に(3)です。ここも危険です。生活能力を期待するなど、結婚相手を家政婦と勘違いしているのではないかとフェミニストからお叱りを受けること請け合いです。女性相手に家事能力を求めてなどいけないのです。相手が家事ができないなら、男がすれば良いという結論になってしますのです。何? 仕事が忙しい? そんな言い訳が現代社会で通用するわけがないでしょう。仕事前に朝ごはんを作り、お弁当を用意しておき、仕事が終わって帰ってから晩御飯を作ればよいのです。え? 過労死してしまう? そんな泣き言が現代社会で通用するわけがないでしょう。過労死したら、妻が会社へ賠償金を要求し、豪遊できればそれでよいのです。当然でしょう。
というわけで、以上を考慮した場合、提示して怒られないような条件は以下のようになると思われます。
(A)希望する年齢は20歳以上であり、上限はありません。当然でしょう。
(B)自分の趣味に時間を費やすことなどいたしません。
趣味などは、女性側の趣味が男性が持つべき趣味になるのです。
(C)生活能力など要求しません。
生活能力が必要な場合は、男性側が提供すればよいのです。
どうでしょうか?
以上のような条件を提示すれば、人権派やフェミニストからクレームがつくこともないと思われます。ご参考までに。
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そりゃ、結婚しなくなるわな・・・。
もういいや。セクハラでも人権侵害でもいいや。
妙齢で結婚していない男も女も、
一般的に納得できるような理由がない限りは、
「早く結婚した方がいいんじゃないか?」
えっ? それはセクハラだって?
そんなの知るか!
「人権もフェミニズムも知ったことかwwww・・・おや、誰か来たようだ」
うわなにをするやめ
ASREADで≪世代論特集≫ の記事が出そろいましたね。多分。
【座談会】私たちはキレる世代だったのか。
世代間で受け継いで行くもの
出光佐三への共感
団塊世代が行った言論上の親殺し
流行にも漫画にも従順なお利口さん
戦後民主主義では、個性があることがもてはやされました。
私はその風潮には懐疑的であり、過度に個性を美化することには危険がつきまとうと考えています。
しかし、しかしです。
このメンツ、個性的すぎます。
それぞれの記事を読んでもらえれば、各人の個性がつかめるかと思います。
個性的なおっさんたちの対談、読んでみてね。
岡山城も味がありますね。
http://www.okayama-kanko.net/ujo/index.html
木々の陰から。
正面からドドーンと。
岡山県に行ったら、岡山城に寄り道するのも良いものですよ。
岡山の後楽園は、日本の三名園の一つです。
http://www.okayama-korakuen.jp/
入口です。
小さな水車です。水車は良いですね。
澄んだ水が木製の水車をクルクル廻しています。
亀裂の走った岩です。恰好良い。
石段です。コントラストが鮮やかです。
異界への入り口のような感じが、もう。
神道ですね。この淋しい感じが、もう。
興味があるようでしたら、一度行ってみるのも良いでしょう。
ASREADで、≪世代論特集≫ が始まっています。
メルマガ登録して、対談を読もう。メルマガは無料だよ。お得だよ。
30代前半が、世代・政治・下ネタとかいろいろと論じているよ。
私の【世代間で受け継いで行くもの】も掲載されていますよ。橋の画像が恰好良いぞ!
あと、ついに中田さんの【出光佐三への共感】が公開です。
中田さんに原稿を書かせたのは、私の数少ない貢献ですな。
昨日は、ASREADの中田さんと飲んでいました。
19時から、24時まで美味しいお店で焼酎をロックでガバガバと飲み、
その後、深夜に駅前で立ったまま1時間話し続けてしまいました。
中田さんには遅くまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
6時間、ぶっ通しで話し続けてしまったわけですが、
中田さんと飲むと、いつもこんな感じになりますねぇ。
物の怪から、心理学から、大衆論から、経営論から、いろんな話題が出たなぁ。
あと、焼酎を飲み過ぎると、二日酔いになるので注意しましよう(笑)
中田さんは、【【激論!酒鬼薔薇世代】私たちはキレる世代だったのか。】で、
実は登場しています。よかったら、読んでみてね。
ASREADの今後の展開にも、こうご期待です。
ASREADに、【激論!酒鬼薔薇世代】私たちはキレる世代だったのか。】が掲載されました。
ASREADの無料メルマガに登録することで、読むことができます。
ゲストに古谷経衡さんをお呼びしています。
私も、少しだけ何か話しているような気がしないでもないです。
よろしかったら、読んでみてください。
ASREADに、【山田方谷を知っていますか? ―日本の偉大な先人たち―】が掲載されました。
現在、岡山県立博物館では、6月29日まで平成二十六年度特別展「山田方谷」が開催されています。
行ける方は、行ってみてください。
北九州に出張に行ってきました。
一泊二日でお勉強をしてまいりました。
勉強は大事ですね。
勉強した内容を難しく言うと(笑)、
駆動力を有した物体を運搬する機構の制御に関し、
ソフトウェアアプリケーションを用いてその設定を簡易化する方法について云々。
まあ、根は理系なんで。
今日は、映画『万能鑑定士Q −モナ・リザの瞳−』を見てきました。
実は、原作ファンなんですよね。
原作者の松岡圭祐さんは、ある種の天才です。
どうやってあのペースで、あのクオリティで出し続けられるのだろう・・・。
映画は面白かったです。ドラマ化しないかな。
この映画の原作は、万能鑑定士Qの事件簿シリーズの9作目に該当します。
基本は原作準拠で、良い意味でアレンジが施されている感じでしたね。
原作では、9作目の時点で小笠原くんと凜田莉子はそれなりの仲なのですが、映画では初対面として描かれています。そのせいで、小笠原くんの魅力がやや半減していたのがちょっと残念でしたね。すでに知り合いという設定で話を進めても良かったかもしれませんね。
あと、原作では莉子はある程度フランス語を知っている状態から9作目が始まっているのですが、映画版ではフランス語を知らない状態から、一日である程度のレベルに達するという展開なのですが、さすがにそれはやりすぎだと思いました。
まあ、細かい突っ込みはそれぐらいにして、素直に本作を楽しみましょう。
ASREADに、【ナショナリズム論(6) 対E・J・ホブズボーム】を掲載してもらいました。
ナショナリストではない者が、ナショナリズムを論じたときにどうなるのか?
その解答の一つが、ここに。
あと、ラスト一回ですね。
鳥取砂丘には、「砂の美術館」があります。
綺麗ですね。
今は、ロシアが題材の砂アートが展示されています。
やっぱり、観光に力を入れているところは、展示やおみやげや見せ方とかのレベルが違いますね。
観光に力を入れることによって、失われるものもあるでしょうが、得ることができるものもあるのでしょう。
旅、楽しい。
旅、疲れる。
旅、運転いっぱい。
たまにナビが変になる。
やっぱり、地方のが運転が楽なり。
大阪は、道がごっちゃごちゃで大変。
ちょっと、私用で数日出かけます。
更新はするかもしれないし、しないかもしれません。
まあ、数日だけですので。
遅くとも、土曜までには終わるので。
その間は、メールとかも読めなかったりしますので。
では。
ASREADに、【オシャレでスマートなスーパーグローバル大学のキャッチコピーを比較してみた】を掲載してもらいました。
こういったネタは、鮮度が命なので、無理をいってすぐに掲載してもらいました。
他の人に同じようなネタを発表されると、ネタの価値がなくなってしまいますからね。
あと、タイトルがラノベっぽいのは、編集が入っているからです。
タイトルや赤字などは、編集の手が入っています。
ASREADに投稿する論文は、けっこう実験を兼ねているのですが、実験結果がなるほどという感じです。
一般受けするものと、自分で価値がある論文は違うということなんですね。
ASREADに、【ナショナリズム論(5) 対アントニー・D・スミス】が掲載されました。
ナショナリズムを考える上で、スミスの近代主義者と原初主義者と永続主義者の区別は、便利です。
スミスは、保守主義者には都合がよい面があるのですが、実は警戒して論じなければならないのです。
見てね。
『日本人 対 基督教』に、第六章 内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』と終章 日本人の信仰心を追加しました。
これで、ひとまず『日本人 対 基督教』は完結です。
一応は完結したので、見たことがない人は見てね。
ですが、何かネタがあれば追加していくつもりです。
キリスト教と日本との関わりについては、一度きちんと論じておきたかったので、書き終わってホッと一息です。
【ネタが思い浮かぶと・・・】
以前にスーパーグローバル大学については、もういいやと思っていたんですが、
http://nihonshiki.sakura.ne.jp/nikki/2014/05/post-770.html
なにか、ネタが浮かんだので・・・。
何か書くかもしれないし、やっぱり書かないかもしれない・・・。
【修羅の門 第弐門】
ついに、九十九の記憶が復活しましたね。
前田ケンシンとの死闘の記憶がよみがえりましたね。
前田は、恰好良いですね。
あの会話からして、九十九の父親であることは確定として、はたして勝敗は・・・?
【ASREADの・・・】
古谷さんの記事がおもしろいです。
http://asread.info/archives/797
ノリノリですな。
後半に行くにつれ、修行僧のような雰囲気が(笑)
ラブホについて話したのは、もう2か月以上も前か・・・。
今日、僕は、「午後の紅茶 レモンティー」を買ったわけで・・・。
それで、どうやら、「サッカー日本代表応援キャンペーン」が実施中なわけで・・・。
僕にはよく分からないのだけれど、「青くつながれ。」というキャッチフレーズが書かれているわけで・・・。
↓ 左から二番目のやつね。
http://www.kirin.co.jp/company/news/2014/images/0210_02_01_b.jpg
Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
あ、青い・・・。
なぜか、選手の顔や手まで青い・・・ Σ( ̄Д ̄;)
正直なところ、僕には、選手たちがチアノーゼ(血液中の酸素濃度が低下して、紫色に見えること)にしか見えない。
選手交代だよっっっ!
あっ、でも、監督もチアノーゼだ ・・・Σ( ̄Д ̄;)
なにか、はしゃいでるし・・・。
きっと、僕にはデザインセンスがないから、おかしく見えるだけなんだ・・・。
きっとそうだ・・・。
普通の人は、これに疑問など抱かないんだ・・・。
せちがらい世の中だぜ・・・。
『表現者54』の感想を以前に書きました。
http://nihonshiki.sakura.ne.jp/book/2014/04/54.html
デカルトの「我思う、故に我あり」について、少し論じていますね。
Amazon にも同じものを書いています。
http://www.amazon.co.jp/review/RTBWMF0C0IB3M
そこに、大谷明彦さんという方がコメントをくださいました。
ひとまず、一度は回答しておきます。
> 「我思う、故に我あり」という視点とは別の視点を設定する・・
> という言葉に大変興味を覚えたのでお教え願いたいのですが、
> これは「他者」から見た視点ということでしょうか。
『「他者」から見た視点』というより、『「他者」の存在を認めた視点』です。
簡単に言うと、「私も他人も同じ人間(より厳密には存在者)なのであって、
生きていたら考えることができるし、死んだら考えることができない」と見なす視点のことです。
> 私はいままで「世界」は「我=自分の意識」の周りに
> 存在するものとばかり思っていましたが、
> つまり「我なし」は私にとって全世界の存在を否定する言葉となる訳ですが、
> そうなると「我なし」の視点が意味のあるものとは思えないのですが。
『「世界」は「我=自分の意識」の周りに存在するもの』という視点に立てば、
『「我なし」の視点』は無意味になります。
その視点とは別に、『「世界」は「我と他者の意識」によって存在するもの』という視点に立てば、
『「我なし」の視点』は有意味になります。
> そもそもー死は「思う」こと自体を消滅させますーという
> 文章自体が私は信じられないので、
> 「死」は単なる肉体の死であって意識は死なないと信ずる者であります。
『信ずる者であります』とありますが、
私は哲学論議なら受けますが、宗教談義をするつもりはありません。
哲学では、「何を信じるか」という主張ではなく、
「どう考えざるをえないか」という文脈に沿った議論が重要になります。
大谷さんが自分の信じるところを述べるなら、
なぜ、そう信じざるを得ないのかをできるだけ綿密に客観的に論じてください。
単に好みの問題でしたら、私は議論するつもりはありません。
> もし他者に視点を設定するとしても設定した時点で、
> 設定すること自体が「我あり」、
> つまり私の視点になってしまうのではないでしょうか。
『「世界」は「我=自分の意識」の周りに存在するもの』という視点に立てば、
その通りです。
その視点に立つものが、
『「世界」は「我と他者の意識」によって存在するもの』という視点に立つには、
論理的な飛躍が必要になるわけです。
以上
情報について少々考えてみます。
【情報(化)社会?】
情報化社会とかいろいろと言われていたりしますが、それは端的におかしくて、人類史上において情報はすべからく重要だったわけです。
ですから、人類史上においては、常に情報社会だったわけです。
【情報の鮮度】
情報には、鮮度があります。
鮮度を逃すと、情報の重要性は極端に低下し、ときにはゼロになります。
論文などでは、時間の経過にほとんど影響せずに重要度を保ち続けるものもありますが、時期を逃すと、とたんに価値が低下するということがよくあります。
逆に、公開を後回しにすることで情報の価値を上げるということも、稀ですがあるにはあります。
情報の公開には、有効な公開時期というものがあるわけですね。
そこを、おろそかにしないようにしましょう。
【情報の伝達】
情報は、幾人かの人たちを隔てて伝えらえることがあります。
そのため、自分が情報を伝えたいと思うとき、その間の人たちがどのように情報を伝えてくれるかにも気を付けていかないといけないわけですね。
そういった点から考えても、ネットって非常に便利ですね。
他の人を介在させずに、自分の伝えたい情報をすぐに公開できますし。
ネットの有利性は、有効活用していきたいですね。
ASREADに、古市について何か書いたような気がする・・・。
古市の擁護かと思った?
残念! フルボッコでした!
なんてね(笑)